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総 説

犬ブルセラ症の現状と課題

今岡浩一 (国立感染症研究所獣医科学部第一室長)


 1 はじめに
 ブルセラ症(Brucellosis)は,ブルセラ属菌(Brucella spp.)による人と動物の共通感染症である.人に感染するのは,その病原性の順に,Brucella melitensis(自然宿主:山羊,羊),B. suis(豚),B. abortus(牛,水牛),B. canis(犬)が知られている.
 中でもB. melitensis,B. abortusB. suisのいわゆる家畜ブルセラ菌感染症は,世界中で患畜,患者が多数発生し,家畜衛生学的のみならず公衆衛生学的にも非常に重要な疾患である[1].
 一方,B. canis(犬ブルセラ菌)は,人に対する病原性は弱いが,犬では流産など繁殖障害を引き起こす.近年,国内の犬繁殖施設における相次ぐ流行が問題となっていることから,本稿では,犬ブルセラ症の現状と課題について述べる.

 2 ブルセラ属菌
 ブルセラ属菌は,グラム陰性,偏性好気性短小桿菌で細胞内寄生性をもつ.1887年にSir David Bruceによりマルタ熱(波状熱)の原因菌として,Micrococcus melitensisB. melitensis)が分離され,その後,種々のブルセラ菌属も発見された.
 分類学上はB. melitensisただ1菌種であり,B. melitensis biovar melitensisなどとされるが,病原性の違いなど1菌種表記には問題も指摘されていることから,従来の菌種名が主に使用されている.B. canisは犬などイヌ科の動物を自然宿主とし,rough-type(LPSがo-side chainを持たない,もしくは不完全)である.その他に,家畜衛生学的に問題になる,smooth-type(LPSがo-side chainを持つ)のB. melitensisB. abortusB. suis,rough-typeのB. ovisの4菌種,げっ歯目のB. neotomae,海産ほ乳類のB. pinnipedialisB. cetiがある(表1)[1].

表1 ブルセラ属菌の種類


 3 疫 学
 (1)人
 B. canisに対しては,人は感染しにくい,感染しても発症しない事が多い,発症しても軽微であり感染に気がつかないことが多い.したがって,B. canis感染者数など詳細については不明である.
 一方,家畜ブルセラ菌感染患者は,世界中で年間50万人以上も新規に発生しており,特に食料や社会・経済面で家畜への依存度が高い国(地中海地域,中近東,中央アジア,中南米,アフリカなど)に多い[2].
 国内では,感染症法によりブルセラ症が4類感染症に指定された1999年4月1日以降,2008年11月30日現在までに,ブルセラ症患者13例が届け出られているが,このうち12例は2005年以降である.また,13例のうち4例は国外を推定感染地域とした家畜ブルセラ菌感染であった[3].残りの9例はB. canisに対する抗体のみが陽性であることから,B. canis感染であると考えられる.しかし,犬が推定感染源として報告されているのは5例のみであり,残りの感染源は不明である.また,患者からB. canisが分離されたのも2008年8月の2例のみである(表2).この2例は,犬の繁殖に携わっていたため,初期に血液培養が行われ,菌分離に至ったと思われる.その他の症例では菌は分離されていないが,これは,患者がペットオーナーもしくは犬との接触が定かでないもので,症状もいわゆる不明熱や倦怠感であり,ブルセラ症の検査を実施するまでの期間も長く,その間に抗生物質の投与も行われていることによると思われる.
 (2)犬
 B. canisは1962年頃から米国の犬繁殖施設で多発した流産の原因菌として,1966年にLE Carmichaelにより同定・報告された[4].
 世界で報告があるのは,アメリカ,中南米(メキシコ,ペルー,アルゼンチン),アジア(日本,中国,韓国,インドなど),ヨーロッパの一部(ドイツ,スペイン,イタリアなど)などだが,世界中で発生していると考えられている.日本(2〜5%)やアメリカ(南部で高く,8%)の感染率は比較的低いが,メキシコやペルーでは28%と高い.一般に,野犬を含めて犬の密度が高く,繁殖がコントロールされていない地域で,感染率が高くなる[4].
 日本では,1971年に輸入犬に起因する,実験用ビーグル犬の繁殖施設で初めて,B. canisの集団感染が報告された[5].その後も,実験用犬施設や訓練学校などでの発生が報告されたが,やがてペット用犬でも感染が広がることになった.1974〜1982年の期間における種々の調査をまとめると,当時は平均8.9%の犬が感染していたことになる(表3)[6].
 2003〜2006年にかけて,我々が行った首都圏の某市動物愛護センターの犬における疫学調査では,2.5%が抗体を保有していた[7].東京都による2001〜2006年の動物愛護相談センターの調査でも4.1%が抗体を保有していた.近年は,動物愛護センターに捕獲・収容される犬もかつてペットとして飼育されていた犬がほとんどである.すなわち,今現在,国内の2〜5%程度のペット用犬が抗体陽性であり,輸入犬だけでなく,主として国内の犬同士の間で病原体が維持されている(国内に定着している)と考えられる.
 近年の犬繁殖施設等における集団発生事例を表4にまとめた.2003年の静岡県から2008年の愛知県の事例までは,犬繁殖施設での報告である.市場等から導入した犬が感染していたことや,繁殖施設間で繁殖用犬のやりとりの際に導入もしくは提供した繁殖用犬が感染し,施設内で感染拡大したことが考えられる.一方,2008年の東京・千葉のケースは,ドッグレンタル・ドッグカフェ・ドッグランという,従来はなかったタイプの施設での流行であった.この場合は,それぞれの施設を利用した外部の犬や人にも感染を拡大する危険があり,今後注意を要する事例であると思われる.
 ただ,これらの事例はあくまでも公になった事例であり,その他にも多くの繁殖施設や犬を扱っている施設で流行しているのではないかと推測される.

 4 感 染 経 路
 (1)犬
 流産時の汚物,死流産仔中には非常に多く排菌されており,最も重要な感染源となる.その他,膣分泌液や乳汁,雄犬の尿や精液中にも排菌される.ゆえに,汚物等への直接接触や汚染された飼料・水を介した経口・経鼻・経粘膜感染,エアロゾルの吸入感染,交尾による生殖器粘膜を介した感染が重要な感染経路となる(図1)[4, 6].
 侵入した菌はマクロファージなどいわゆる貪食細胞に取り込まれるが,細胞内で殺菌できなかった場合,血液を介して脾臓,肝臓,リンパ節に潜むことになる.その後,雄では精巣上体や前立腺に,妊娠雌では胎盤へと移動し,流産を引き起こす.そして,その尿・精液,流産時の汚物などが新たな感染源となる.
 (2)人
 B. canis感染犬の流産時の汚物・死流産仔への直接接触や,エアロゾルの吸入による感染が主である.また,感染雄犬の尿や精液も感染源となりうる[4].
 ブルセラ属菌は,検査室・実験室感染事故の起こりやすい菌である.特に菌の分離培養(増菌培養)時に感染リスクは高くなる.安全キャビネットを使用しない,培養液をこぼす,培養プレートの臭いをかぐ,などにより,エアロゾルを介して感染することが知られている[8].一般の動物病院では,安全キャビネットが無いところが多いので,感染犬の血液,臓器などの検体を取り扱う際には注意が必要である.また,感染犬の去勢・不妊手術は感染や周辺を汚染するリスクが高いので,特に注意が必要である.当然,使用した器具類,手術着・手袋・マスク,手術により出たゴミ,切除した臓器等は滅菌処理を,手術台やその周辺はアルコールや次亜塩素酸ナトリウムによる消毒をしなければならない.

表2 ブルセラ症の国内事例(感染症法指定後,1999.4.1〜2008.11.30,)



表3 国内の犬ブルセラ症集団発生の報告(初報告から1982年まで)



表4 近年の犬ブルセラ症集団発生



図1 犬ブルセラ症の感染経路と病原性


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