総 説

4.節足動物媒介ウイルス感染症
 節足動物によって媒介される主なウイルス感染症,その病原巣と伝播サイクル及びベクター昆虫を表3に示す.

(1)日 本 脳 炎
 日本脳炎はアジアに分布する人獣共通感染症であり,蚊によって媒介される.日本脳炎ウイルスはフラビウイルス科に属し,広い宿主域をもつ.ヒト,ウマ,ブタ,各種鳥類,爬虫類,両生類及び昆虫に感染して増殖する.蚊はウイルス血症を起こした感染動物から吸血によってウイルスを取り込む.ウイルスは蚊の中腸細胞でまず増殖し,さらに唾液腺細胞で増殖して,唾液中に持続排泄される.この様な蚊が他の動物から吸血する際に唾液中のウイルスを接種することになるので,新たな感染動物ができる.したがって,蚊は日本脳炎ウイルスの媒介動物(vector)であると同時に病原巣動物(reservoir)でもある.ブタが日本脳炎ウイルスの増幅動物となっており,蚊―ブタ―蚊―ヒトのサイクルで伝播する.
(2)リフトバレー熱
 リフトバレー熱は古くから東アフリカで恐れられて来た人獣共通感染症である.病因はブニヤウイルス科のフレボウイルスグループに属する.ヒツジ,ヤギ,ウシ,ラクダ,イヌ,ネコ,げっ歯類動物とヒトに感染する.ケニヤのリフトバレー地域に限局して発生していたが,近年はアフリカ南部,西部,さらには北部にも発生している.アフリカ以外での発生報告はない.蚊の媒介によって伝播する.潜伏期は短く,高熱と虚脱を症状として示す.肝炎や流産を起こす.幼獣が感染すると1〜2日で死亡する.ヒトが感染すると,インフルエンザ様の症状を呈する.
 本病の発生と流行は雨期と蚊の発生状況に左右される.近年アフリカで農業用の潅漑やダム建設などが蚊の生息域に変化をもたらした結果,本病が広い範囲に広がっていることが判った.


5.出  血  熱
 近年,世界各地で新たな伝染病が出現して,大きな問題となっている.この様な悪性のウイルス感染症はおもに出血熱で,人獣共通感染症である.主な出血熱の原因ウイルスと発生地を表4に示す.
 1969年ナイジェリアのラッサで伝道看護婦が熱性疾患にかかり,看病した看護婦2名が次に罹患した.初めの患者と後の1名が死亡した.その後このラッサ熱が北ナイジェリアからギニアにおよぶ西アフリカ一帯の地方病で,野ネズミによって媒介される致死率の高い共通感染症であることが判った.病因はアレナウイルス科のラッサウイルスで,Mastomys natalensisを自然宿主とする.このネズミはラッサウイルスに持続感染してウイルス血症を起こし,尿中にウイルスを排泄するが,症状を顕わさない.人はネズミの尿中のウイルスに感染して発症する.他にアレナウイルスによるエマージング感染症にアルゼンチン出血熱,ボリビア出血熱及びベネズエラ出血熱がある.
 過去に中国の旧満州で日本兵の間に流行した流行性出血熱,朝鮮戦争時に韓国で国連軍兵士の間に流行した韓国型出血熱,大阪市梅田で起こった地下街病及び医学研究機関の実験動物施設における研究者と技術者の出血熱は,すべてブニヤウイルス科ハンタウイルス属の腎症候性出血熱ウイルスが病因である.1993年,米国で腎障害より肺炎を主徴とするハンタウイルスが見つかり,北米と南米で1,600人以上の患者が発生している.
 マールブルグ病,エボラ出血熱はフィロウイルスの感染による重篤な疾病で,自然宿主は不明である.アフリカの野生動物を宿主として存続しているものと考えられる.これらとラッサ熱をアフリカ出血熱と呼び,診断とウイルス検査は生物安全基準レベル4の施設でのみ行うことが国際間で合意されている.日本でこれらの疾病の発生が疑われる際は,検査材料を米国の伝染病予防センター(CDC)に送り,診断を依頼する.科学先進国としては誇れない現状である.



6.お わ り に
 人の医療を厚生労働省が,家畜,家禽と蜜蜂の伝染病予防を農林水産省が担当している.人獣共通感染症は野生生物にその病原巣があるので,行政区分の狭間におかれている.したがって,人獣共通感染症が発生した場合,責任体制が不明確で一貫性を欠く対応が執られ,制圧対策を誤り,取り返しのつかない事態を招く恐れがある.国内の状況がこのように立ち遅れているので,人獣共通感染症がしばしば発生するアジア・アフリカ諸国に対して,科学先進国としての国際責任を果たしていない.
 世界にはいまだ人獣共通感染症の病因微生物の生態,病原性,検出技術及び制圧方法を総括的に研究開発する組織がなく,また,人獣共通感染症の予防と制圧に向けた研究と対策を推進する人材がきわめて少ない.かかる組織を創設し,人材を養成することは緊急の国家課題である.人獣共通感染症の制圧に向けた研究・開発,予防・診断・治療法の開発と実用化,情報と技術の社会普及,人獣共通感染症対策専門家の養成ならびに予防対策行政に対する指導,助言に責任を持ってあたる組織として「人獣共通感染症リサーチセンター」の設置を提言する.
 「人獣共通感染症リサーチセンター」は病原体の自然界における存続メカニズムを解明するとともに,その出現予知,予防と制圧を目指し,グローバルな疫学調査を展開する.疫学調査で分離される病原体の病原性,宿主域と遺伝子を解析して,データベース化するとともに,病原体とその遺伝子をワクチン及び診断のための生物資源として系統保存し,WHO及びOIEを介して世界に供給する.また,診断,治療及び予防対策を立案し,行政機関を強力にバックアップするとともに,産学官連携によるバイオクラスターを創生し,バイオベンチャーをはじめとする新事業,新産業を創出する.さらに,内外の研究者,大学院学生ならびに専門技術者の研修を推進し,人獣共通感染症対策専門家を世界に送り出す.
 人獣共通感染症は,緊急性がきわめて高い,地球規模の問題であり,その予防と制圧に向けた研究活動はわが国の国際的リーダーシップの確保に繋がるものである.緊急の国家ならびに国際課題解決のために人獣共通感染症リサーチセンターが担う役割は大きい.

 

*標題,文中には,「人獣共通感染症」とありますが,本会においては「人と動物の共通感染症」の呼称を用いるようにしております.





† 連絡責任者: 喜田 宏
(北海道大学大学院獣医学研究科動物疾病制御学講座)
〒060-0818 札幌市北区北18条西9
TEL011-706-5207 FAX 011-706-5273


総 説

4.節足動物媒介ウイルス感染症
 節足動物によって媒介される主なウイルス感染症,その病原巣と伝播サイクル及びベクター昆虫を表3に示す.

(1)日 本 脳 炎
 日本脳炎はアジアに分布する人獣共通感染症であり,蚊によって媒介される.日本脳炎ウイルスはフラビウイルス科に属し,広い宿主域をもつ.ヒト,ウマ,ブタ,各種鳥類,爬虫類,両生類及び昆虫に感染して増殖する.蚊はウイルス血症を起こした感染動物から吸血によってウイルスを取り込む.ウイルスは蚊の中腸細胞でまず増殖し,さらに唾液腺細胞で増殖して,唾液中に持続排泄される.この様な蚊が他の動物から吸血する際に唾液中のウイルスを接種することになるので,新たな感染動物ができる.したがって,蚊は日本脳炎ウイルスの媒介動物(vector)であると同時に病原巣動物(reservoir)でもある.ブタが日本脳炎ウイルスの増幅動物となっており,蚊―ブタ―蚊―ヒトのサイクルで伝播する.
(2)リフトバレー熱
 リフトバレー熱は古くから東アフリカで恐れられて来た人獣共通感染症である.病因はブニヤウイルス科のフレボウイルスグループに属する.ヒツジ,ヤギ,ウシ,ラクダ,イヌ,ネコ,げっ歯類動物とヒトに感染する.ケニヤのリフトバレー地域に限局して発生していたが,近年はアフリカ南部,西部,さらには北部にも発生している.アフリカ以外での発生報告はない.蚊の媒介によって伝播する.潜伏期は短く,高熱と虚脱を症状として示す.肝炎や流産を起こす.幼獣が感染すると1〜2日で死亡する.ヒトが感染すると,インフルエンザ様の症状を呈する.
 本病の発生と流行は雨期と蚊の発生状況に左右される.近年アフリカで農業用の潅漑やダム建設などが蚊の生息域に変化をもたらした結果,本病が広い範囲に広がっていることが判った.


5.出  血  熱
 近年,世界各地で新たな伝染病が出現して,大きな問題となっている.この様な悪性のウイルス感染症はおもに出血熱で,人獣共通感染症である.主な出血熱の原因ウイルスと発生地を表4に示す.
 1969年ナイジェリアのラッサで伝道看護婦が熱性疾患にかかり,看病した看護婦2名が次に罹患した.初めの患者と後の1名が死亡した.その後このラッサ熱が北ナイジェリアからギニアにおよぶ西アフリカ一帯の地方病で,野ネズミによって媒介される致死率の高い共通感染症であることが判った.病因はアレナウイルス科のラッサウイルスで,Mastomys natalensisを自然宿主とする.このネズミはラッサウイルスに持続感染してウイルス血症を起こし,尿中にウイルスを排泄するが,症状を顕わさない.人はネズミの尿中のウイルスに感染して発症する.他にアレナウイルスによるエマージング感染症にアルゼンチン出血熱,ボリビア出血熱及びベネズエラ出血熱がある.
 過去に中国の旧満州で日本兵の間に流行した流行性出血熱,朝鮮戦争時に韓国で国連軍兵士の間に流行した韓国型出血熱,大阪市梅田で起こった地下街病及び医学研究機関の実験動物施設における研究者と技術者の出血熱は,すべてブニヤウイルス科ハンタウイルス属の腎症候性出血熱ウイルスが病因である.1993年,米国で腎障害より肺炎を主徴とするハンタウイルスが見つかり,北米と南米で1,600人以上の患者が発生している.
 マールブルグ病,エボラ出血熱はフィロウイルスの感染による重篤な疾病で,自然宿主は不明である.アフリカの野生動物を宿主として存続しているものと考えられる.これらとラッサ熱をアフリカ出血熱と呼び,診断とウイルス検査は生物安全基準レベル4の施設でのみ行うことが国際間で合意されている.日本でこれらの疾病の発生が疑われる際は,検査材料を米国の伝染病予防センター(CDC)に送り,診断を依頼する.科学先進国としては誇れない現状である.



6.お わ り に
 人の医療を厚生労働省が,家畜,家禽と蜜蜂の伝染病予防を農林水産省が担当している.人獣共通感染症は野生生物にその病原巣があるので,行政区分の狭間におかれている.したがって,人獣共通感染症が発生した場合,責任体制が不明確で一貫性を欠く対応が執られ,制圧対策を誤り,取り返しのつかない事態を招く恐れがある.国内の状況がこのように立ち遅れているので,人獣共通感染症がしばしば発生するアジア・アフリカ諸国に対して,科学先進国としての国際責任を果たしていない.
 世界にはいまだ人獣共通感染症の病因微生物の生態,病原性,検出技術及び制圧方法を総括的に研究開発する組織がなく,また,人獣共通感染症の予防と制圧に向けた研究と対策を推進する人材がきわめて少ない.かかる組織を創設し,人材を養成することは緊急の国家課題である.人獣共通感染症の制圧に向けた研究・開発,予防・診断・治療法の開発と実用化,情報と技術の社会普及,人獣共通感染症対策専門家の養成ならびに予防対策行政に対する指導,助言に責任を持ってあたる組織として「人獣共通感染症リサーチセンター」の設置を提言する.
 「人獣共通感染症リサーチセンター」は病原体の自然界における存続メカニズムを解明するとともに,その出現予知,予防と制圧を目指し,グローバルな疫学調査を展開する.疫学調査で分離される病原体の病原性,宿主域と遺伝子を解析して,データベース化するとともに,病原体とその遺伝子をワクチン及び診断のための生物資源として系統保存し,WHO及びOIEを介して世界に供給する.また,診断,治療及び予防対策を立案し,行政機関を強力にバックアップするとともに,産学官連携によるバイオクラスターを創生し,バイオベンチャーをはじめとする新事業,新産業を創出する.さらに,内外の研究者,大学院学生ならびに専門技術者の研修を推進し,人獣共通感染症対策専門家を世界に送り出す.
 人獣共通感染症は,緊急性がきわめて高い,地球規模の問題であり,その予防と制圧に向けた研究活動はわが国の国際的リーダーシップの確保に繋がるものである.緊急の国家ならびに国際課題解決のために人獣共通感染症リサーチセンターが担う役割は大きい.

 

*標題,文中には,「人獣共通感染症」とありますが,本会においては「人と動物の共通感染症」の呼称を用いるようにしております.





† 連絡責任者: 喜田 宏
(北海道大学大学院獣医学研究科動物疾病制御学講座)
〒060-0818 札幌市北区北18条西9
TEL011-706-5207 FAX 011-706-5273