総 説

人獣共通感染症の克服に向けて

喜田 宏(北海道大学大学院獣医学研究科教授)

1.は じ め に
 世界保健機関(WHO)は,1980年に痘瘡の根絶を宣言した.有史以来人類を苦しませて来たこのウイルス感染症は1977年にソマリアにおける発生を最後に地球上から姿を消したのである.WHOが1959年から痘瘡根絶計画を20年にわたり推進し,達成された輝かしい成果である.
 痘瘡を根絶できたのは,病因ウイルスがヒトのみを宿主とし,動物や昆虫が伝播に関与しない,ウイルスに感染したヒトは必ず症状を示し,ウイルスが持続あるいは潜伏感染しない,そしてウイルスの抗原性に変異がなく,種痘によって強い免疫を誘導できたためである.麻疹,ポリオ及び風疹もヒトのみの感染症であることと有効なワクチン開発の遅れていることから,次の根絶計画の対象となっている.
 痘瘡の根絶が達成された当時,多くの人々は,細菌感染症は抗生剤による治療によって,またウイルス感染症はワクチンによる予防によって克服できると考えた.しかし,間もなくエイズが世界に蔓延し,出血熱など新たな人獣共通感染症(emerging zoonosis)が世界各地で発生,流行するに及び,それは幻想にすぎないことを思い知らされたのである.
 このように新たに問題となって,解決を迫られている人獣共通感染症については,原因微生物の起源と自然界における存続のメカニズム,侵入経路及び感染,発症と流行に関与する諸要因を明らかにして,予防・制圧対策をたてる必要がある.そのためにはグローバルサーベイランスが欠かせない.
 本稿では人獣共通感染症,特にウイルス性感染症について要約し,人獣共通感染症を克服するために何をすべきかについて述べたい.

2.人獣共通感染症

 共通感染症(zoonosis)とはヒト以外の脊椎動物からヒトに伝播する疾病を指す.
 近年,伝達性ウシ海綿状脳症(BSE),口蹄疫,ニパウイルス,ハンタウイルス,ヘンドラウイルスや新型インフルエンザウイルス感染症,ラッサ熱,エボラ出血熱,出血性大腸菌症,肺ペスト,レプトスピラ病など,共通感染症が世界各地で発生し,社会を脅かしている.その病原体の多くは,地球上の限られた地域で野生動物や昆虫に寄生し,宿主と共生関係を確立して存続してきた微生物である.人口の爆発的増加と経済活動の拡大が森林の伐採と農地化や砂漠化,そして大気汚染による地球の温暖化を招いた.この様な地球環境の急激な変化は病原巣宿主の生態と行動圏を攪乱し,野生生物と人間社会の境界消失をもたらした.その結果,病原体が家畜,家禽と人に伝播する機会が増加し,新興人獣共通感染症の多発を招いている.黄熱やマラリア等,熱帯地域に限られていた節足動物媒介感染症の発生と流行は,今や亜熱帯及び温帯にまで広がっている.地球の温暖化とダム建設や灌漑工事の結果,ベクターである蚊の生息域が拡大したためである.BSEは,畜産業において経済効率を偏重追求した結果,生じたものと言える.
表1に近年に出現した人獣共通感染症とその被害を示す.


3.人獣共通ウイルス感染症
 代表的な人獣共通ウイルス感染症とその病原巣動物ならびにヒトへの伝播経路を表2に示す.哺乳動物,鳥類,両生類及び爬虫類が人獣共通ウイルス感染症の病原巣動物あるいは増幅動物宿主として関与している.人獣共通ウイルスの多くはヒト以外の脊椎動物宿主に病原性を示さない.宿主域は非常に狭いものから広範な動物種に感染するものまでウイルスによって異なる.ヒトにおける感染症は不顕性のものから致死的なものまでさまざまである.狂犬病のように,古代ギリシャ時代から恐れられてきたものから,出血熱のように,近年になって新たに出現しているものまで多様である.
(1)狂  犬  病
 ラブドウイルス科の狂犬病ウイルスは世界に広く分布する.イヌ,キツネ,オオカミ,コヨーテ,ジャッカル,コウモリ,イタチ,スカンクなどの間で,咬傷による感染で維持されている.ウイルスに感染した哺乳動物は長い潜伏期を経て発症し,狂躁,意識障害や麻痺を起こして死亡する.感染動物はその唾液中にウイルスを排泄する.これに咬まれるとウイルスは咬傷から侵入して,神経を上向するため,狂躁発作や麻痺を起こす.都市のイヌ及びネコの間に伝播サイクルがあって,しばしばヒトに感染する,いわゆる都市型(urban type)と野生動物の間を伝播する森林型(sylvatic type)に分けられる.日本には18世紀に都市型狂犬病が中国から侵入し,イヌの間で流行してヒトにも感染した.
 イヌに対する徹底したワクチン接種と野犬狩りが効を奏して,1953年を最後に日本から消滅した.野生動物の狂犬病が日本にはなかったので,その撲滅に成功した.狂犬病ウイルスは南極大陸,イギリス,アイスランド,ハワイ諸島,オーストラリア,ニュージーランド,台湾,スウェーデン,フィンランドを除く全世界に分布する.アジアとアフリカの開発途上国ではいまだにイヌとネコが主要な病原巣動物である.北米ではスカンク,ラクーン,キツネが,ヨーロッパではキツネが,またカリブ諸国ではマングースがウイルスの供給源となっている.コウモリはどの地域でも狂犬病ウイルスを保有している.特に中南米では毎年数10万頭の放牧牛が吸血コウモリ(vampire bat)からウイルスに感染して被害を被っている.家畜や野生動物の国際間の移動が年々増加しており,また日本に輸入されるイヌは年間1万頭を越える.狂犬病発生国からの動物も多いので,厳重な防疫体制がとられている.また,狂犬病が清浄化された現在でも,毎年1回イヌのワクチン接種が続けられている.ヨーロッパでは生ワクチンをエサに混ぜ,これをヘリコプターで広範囲に散布してキツネに与える対策によって,汚染地域が西側に広がるのを食い止めることに成功した.感染動物の異常行動から推定診断が可能なこともあるが,野生動物では不可能である.ウイルス分離あるいは蛍光抗体法で細胞内ウイルス抗原を検出して確定診断をする.
(2)インフルエンザ
 インフルエンザAウイルスはヒトを含む哺乳動物と鳥類に広く分布する.なかでも,水禽,特にカモからはすべてのヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)亜型(それぞれH1-H15とN1-N9)のウイルスが分離されている.カモは夏にシベリア,カナダやアラスカの北極圏に近い湖沼で営巣し,卵を産んで,雛を育てる.ここで,湖沼水中のインフルエンザウイルスに経口感染する.カモが飲み込んだウイルスは結腸陰窩の上皮細胞に感染する.増殖したウイルスは,糞便とともに湖沼水中に排泄される.8月の中旬には,カモは南方に渡りを始める.9月,10月に日本にも飛来する.そして中国南部,東南アジアで越冬する.カモに害を及ぼすことなく受け継がれているウイルスは,カモの渡りの飛翔路に沿って,あるいは越冬地で家禽や家畜に感染,伝播して,病原性を獲得することがある.特に,ウイルスがニワトリ集団に侵入し,数カ月にわたってニワトリからニワトリに感染を繰り返すと,ニワトリに対する病原性を獲得することが経験されている.このような高病原性鳥インフルエンザウイルスのHA亜型はH5またはH7に限られている.
 日本で高病原性鳥インフルエンザは,1924年に千葉県で発生して以来,2003年まで認められていなかった.カモのウイルスをニワトリに伝播するシチメンチョウ,ウズラと水禽がほとんど飼育されていないこと,鳥インフルエンザウイルスの温床となる生鳥マーケットがないこと,養鶏の衛生管理が徹底していること,海に囲まれた島国であることに加えて的確な動物検疫が効を奏していたためである.
 ところが,アジアで鳥インフルエンザが拡がる折,2004年1月に山口県,2月に大分県,3月に京都府の家禽にH5N1ウイルスの感染による高病原性鳥インフルエンザが発生した.国と各県府の適切な対応により,4月にはこのH5N1ウイルス株は日本の家禽から姿を消した.
 2003年から2004年にかけて日本を含むアジア9カ国で発生した一連の高病原性鳥インフルエンザは,感染症に国境がないこと,日本の鶏群にも本症発生のリスクがあることに加えてウイルスの侵入をいち早く検出するために年間を通した家禽のモニタリングが必須であることを改めて諭す教訓となった.
 アジアでは今なお高病原性鳥H5N1インフルエンザウイルスによる家禽の被害が断続している.さらにタイとベトナムではそれぞれ12名及び22名のヒトがH5N1ウイルスに感染し,8名及び15名が死亡した.今後,ふたたび高病原性鳥インフルエンザが日本に飛び火する可能性を否定できない状況にある.家禽における鳥インフルエンザウイルスの感染を早期に摘発,淘汰することによって家禽の被害を最小限にくい止めるとともに,ヒトの健康と食の安全を守ることが鳥インフルエンザ対策の基本である.
 ブタの呼吸器上皮細胞の表面には,ヒト由来のウイルスに対するレセプターばかりでなく,鳥類のウイルスに対するレセプターも存在する.ブタがヒトのウイルスとカモのウイルスに同時に感染すると,その呼吸器上皮細胞で両ウイルスの遺伝子分節が交換され,遺伝子再集合体が生ずる.その中でヒトに感染して流行を起こすものが新型ウイルスである.
 ヒトの新型インフルエンザウイルスの出現には,このように,渡りガモ,中国南部のアヒル及びブタがそれぞれ,ウイルスの供給,伝播及び遺伝子再集合体産生の役割を果たす.すなわち,新型ウイルス遺伝子の導入経路は,渡りガモ→アヒル→ブタ→ヒトである.
 これから出現する新型ウイルスを予測するために,カモの営巣湖沼水,渡りガモ,アヒル及びブタのインフルエンザの疫学調査が必須である.

 


図1 動物インフルエンザのグローバルサーベイランス