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意見(構成獣医師の声)

小動物の遺伝性疾患に関する考察

今本成樹 (新庄動物病院院長・奈良県獣医師会会員)

今本成樹
 人の医学の分野では遺伝子を解析することにより多くの病態が解明されてきている.最近では,獣医学の分野においても遺伝子により発症する疾患が数多く発見されている.犬に限っても,この5年間で約30の遺伝性疾患が発見されている.
 さらに,遺伝子解析により原因遺伝子が特定され,遺伝子検査が可能となる疾患の数も増えてきている.
 遺伝子解析は疾患遺伝子の特定だけではなく,多くの新たなる発見を生んでいる.例えば,犬の親子解析が99%は確率で可能になっている.また,近年猫のヘモバルトネラは遺伝子解析によって分類し直され,血液マイコプラズマ群エペリスロゾーン属のMycoplasma haemofelisと呼ばれるようになった[13].このように遺伝子解析を行うことで病態が明らかになることにより,新たな治療戦略が生まれる可能性は非常に大きいものと考える.
 その流れを追うように,メディアでも伴侶動物の遺伝性疾患が頻繁に取り上げられるようになってきた.無計画な繁殖により,疾患遺伝子を持つ個体が数多く生み出されてしまったという趣旨の報道がよく取り上げられている.
 そういった番組を見ると,必ずといっていいほど登場してくるキーワードが,「悪徳ブリーダー」や「乱繁殖」といった言葉である.遺伝性疾患の広がりには,無計画な繁殖もその一因であり,多くの先生方もこれには納得されることと思う.しかし,それだけが原因ではない.私は,全てをブリーダーに押し付けて,悪者に仕立て上げている風潮に疑問を覚える.
 我々,小動物臨床獣医師は,日々の診療において,飼い主と接する機会が多い.その中で,「この子の子供を(産ませて)見てみたい.」と言われた経験は,ほとんどの獣医師にあるのではないだろうか? その際に,アドバイスの方法については,その獣医師の経験に委ねられる.交配の相談の中で,遺伝性疾患の話まで質問されることも珍しくない.しかし,飼い主から問われた遺伝性疾患に対する質問に適切な答えが返せないことも度々ある.日本国内におけるボーダーコリーに発生した神経セロイドリポフスチン症の飼い主に対しての実施した我々のアンケート調査から,診療した獣医師が「適切な答えを返せない」,「遺伝性疾患への知識不足」,「犬種特異性疾患への理解がない」といったことにより飼い主を不安に陥れるということが明らかになった[8, 12].神経セロイドリポフスチン症は,1980年代には既にニュージーランドやオーストラリアで認識されていた疾患であるが,国内においては2002年に最初の診断がされたばかりで,歴史も浅い.この疾患に対して,飼い主の望む答えを返せないのは,知識不足と言うより,国内における情報不足からだと思われる.獣医師が勉強しようにも国内の資料からでは,その情報を得ることは困難なのが現状といえるだろう.
 遺伝性疾患というのは,無数にあり,全てに対処することは,途方もない作業に思えてくる.こういった現実をどのように打破すればいいものか,4つの質問を例に,その質問に対して「我々はどう答えるべきなのか?」を考えていこうと思う.なにより,これらの質問全てが,私の病院で聞かれたことであり,かつ返答に困ってしまったものばかりである.すなわちこれが現場で必要な対処の一端なのだと思いながら読み進めてもらえたらと思う.

 質問1 「アトピーは遺伝するのか?」
 この質問への返答は本当に困る.まずは,アトピーの診断を確実に下す必要がある.アトピー性皮膚炎は,犬の皮膚疾患の中で最も一般的な疾患である.犬の約10%がアトピー性皮膚炎に罹患しているという報告[2]はあるが,犬のアトピー性皮膚炎の病態に関しては,ほとんど解明されてない.
 人のアトピー性皮膚炎では,多くの大規模な研究から遺伝的要素が関与していることは間違いないと考えられている.
 獣医学は,多くが人の知見の外挿であるために,あたかも犬のアトピー性皮膚炎は遺伝すると信じられている.私もその中の1人であった.多分今もアトピーの診療で困り果てたら,人のデータを示して,あたかも「犬もそうなんです!」ということで話をしてしまいそうになる.
 しかし,Schwartzmanら[4, 5]が行ったアトピー性皮膚炎を有する犬のコロニーを用いた研究では,アトピー性皮膚炎の親犬が産んだ子犬でのアトピー性皮膚炎の発症率は20%であり,遺伝との因果関係は証明されていない.DeBoerら[3]のウェストハイランドホワイトテリアのコロニーを用いた研究でも同様の見解であった.このように2000年以前の文献を考えると,遺伝性疾患であることの証明ができていないのである.
 2000年以降では,その傾向に少々の違いが見受けられる.Sousaら[6]の研究,によると,アトピー性皮膚炎はウェストハイランドホワイトテリア,ゴールデンレトリーバー,ラブラドールレトリーバー,プードル,そしてヨークシャテリアには,好発するとされている.また,Scottら[1]の研究では,アトピー性皮膚炎には遺伝的な素因があることが示唆され,多くの好発犬種があることが報告されている.国内の学会でも,第5回動物臨床医学会において,犬種疾病統計に関する研究の中で,好発犬種に関する報告がされている[7].これらの文献や報告においてウェストハイランドホワイトテリアは全てにおいて登場している.
 しかし,遺伝性疾患である証明がされた報告はなく,「示唆される」という結論にとどまっているのが現状である.このようなデータを出された時に,「アトピー性皮膚炎を疑っている犬を繁殖に使ったらどうなるのか?」と,質問された場合には,どのように答えればよいか悩んでしまう.私の場合には,これらのデータを比較した上で,犬種毎に答えるパターンを変える.ウェストハイランドホワイトテリアであれば,犬種的にアトピー性皮膚炎が多い犬種であるというデータ[1]があるという話題から話に入る.そして,遺伝性疾患であることの証明はできていないが,20%の確率でアトピー性皮膚炎を持った犬が生まれてくるという話をする[4, 5].5頭産まれれば1頭はアトピーで,この子(アトピー母犬)と同じように投薬が時に必要な子が生まれることがあることを話す.さらに先ほどの,20%の確率でアトピー性皮膚炎の子犬が産まれてくるというデータから計算すれば,5頭生まれて,全くアトピー性皮膚炎が生まれない確率は,1,024/3,125(約33%)である.逆に,1/3,125の確率で5頭全てがアトピー性皮膚炎ということも考えられないことはない.上記の計算方法は,単純にすでに報告されているデータを用いた計算であって,遺伝形式によっては計算方法が異なるので,この計算方法が正しいわけではない.しかし,説明の際には最も分かりやすいのでこのような単純な計算方法を用いて説明をしている.全頭正常な子犬が生まれる確率が33%しかないのであるなら,繁殖計画を考え直さなくてはいけないと考えて問題はないであろう.しかし,それは私個人の意見であり,これが正解かどうかは,今の段階ではわからない.結論的には,遺伝性疾患であることは十分考えられるが,証明されていない以上,獣医師側から強制的に繁殖を止めるような強力なエビデンスはないのである.犬種毎に考えながら,遺伝性疾患の話をしていくのか,それに絡めて犬種特異性疾患としての話もしていくのかを変える必要がある.このように,交配相談では,はっきりと結果が出た論文がないために返答に困ることがある.この分野に関しては,10年もしないうちに優秀な研究者により,我々が自信を持って話せるデータが出てくれることを願うばかりである.

 質問2 「繁殖前に遺伝病の検査はできるのか?」
 繁殖を行うに当たり当該犬に遺伝性疾患の有無を調べる検査に対する質問に答えることは,相当な労力を要する.
 現在,犬の遺伝性疾患で判明しているものは,500弱である.その中で遺伝子検査が可能なものは約30である.遺伝子検査も犬種毎になる.また,同一の疾患名であっても原因遺伝子が異なる場合には検査方法が異なることもある.犬種によっては原因遺伝子が分からない場合もある.いくつかの遺伝性疾患の検査は,国内のベンチャー企業数社でも検査が可能であるので私は必要に応じて利用している.国内で対応できないものに対しては,海外のOPTIGENやVETGENなどを利用することもある.海外の検査会社のサイトには,検査可能な遺伝性疾患について解説されており,有益な情報がたくさんある.
 しかし,遺伝子検査のデメリットとしては,高額であることと,検査結果が出るまで時間がかかるため,交配まであらかじめ時間的余裕を持たせて行わなければならないということが挙げられる.股関節形成不全のように遺伝子検査がないものであっても,院内で検査が可能なものに対しての検査は,積極的に行うようにしている.しかし,股関節形成不全がない個体同士の交配でも股関節形成不全を起こす個体もある.これが複数の因子が関連した遺伝性疾患の怖いところである.当然,その話もする必要がある.複数の遺伝子により影響を受ける疾患に関しては,現段階で最善を尽くして,そのリスクを除外することしかできない.遺伝性疾患のリスクの除外が可能であるにもかかわらず,それを怠ったために遺伝性疾患を広げるということの無いように努める必要がある.現在遺伝子検査が可能なものは原因遺伝子がわかっている単一遺伝子病だけある.進行性網膜萎縮のように多くの原因遺伝子が存在していると推測されている疾患もあるが,現段階,コマーシャルラボで行われている検査は,複数存在する原因遺伝子のうちの一つであるといったことも説明しておかないと後々トラブルになりかねない.まだまだ未解明の部分が多いが,解明されている遺伝性疾患に対しては,きちんと検査を行いその原因遺伝子による疾患を防ぐことを行うことは必要であると考える.

 質問3 「毛色が珍しいから,子供産ませたら高く売れるか?」
 これは,近年爆発的なブームのミニチュアダックスフンドでよくある質問である.毛色に関しては,複数の遺伝子が関与していることが知られている.どの毛色同士を交配すれば,どのような毛色の子供が生まれるかはある程度推察が可能である.日本人は珍しいものを求める傾向にあり,珍しい毛色ほど高値で取引されている.高級ブランドの限定品,期間限定商品に弱い人達がレアモノを求める姿とオーバーラップする.
 ミニチュアダックスフンドにおいては,「ダップル」という白の混じった毛色が一時期高値で取引されていた.しかし,ミニチュアダックスフンドの交配においては,ダップルという白が混じった毛色同士の交配では死産や小眼球症,難聴を呈する個体が確認されている.過去には,多くの無知なる繁殖の犠牲となった個体がおり,その経験から危険な交配パターンもブリーダーの中で知られてくるようになってきた.このダップルという毛色は,「マール遺伝子」という遺伝子が関与している.マール遺伝子は,メラニン細胞が胎生期に正常に分布しないということを引き起こす遺伝子でもある.メラニン細胞が正常に分布しない場所,特にそれが感覚器において影響を受けた場合,たとえば耳の蝸牛において,メラニン細胞の配置が胎生期になされなかった場合には,難聴を引き起こし,網膜へ影響を及ぼすと,視覚異常を引き起こす.また,場合によっては,死産を引き起こす.他の毛色と比較しても死産の可能性は高いように感じる.
 近年の電子顕微鏡の発展と共にこれらのことは解明されてきたが,実はすでに1900年代のダーウィンの「種の起源」には青目の猫の難聴の話が記載されている.ダーウィンのこの本は有名だが,その中の「青眼の猫の難聴」についての話は,これまで知られることがなかった.白色化や毛色の希釈を引き起こす遺伝子には,危険が潜んでいるということは,すでにブリーダーの中では,経験上それを認知されていたし,ごくわずかな飼い主の間でも知られていた.一方で,ほとんどの獣医師はこのことを知らなかった.その理由としては,死産や,先天性の小眼球症,失明の場合には市場に出回ることはないために,臨床獣医師の目にとまることはなく,日々の診療で問題となることもないからだと私は考える.こうなると『知るチャンス』がないので,獣医師が知らなくても仕方なかったということになる.しかし,近年の素人繁殖の横行により段々と『知るチャンス』が増え,注目されるようになった.マール遺伝子は,なにもミニチュアダックスフンドに限ったことではなく,ブルーマールと呼ばれる毛色を持つ犬種全てにこの遺伝子が存在している.2006年,Leighら[14]の研究により,マール遺伝子の場所が特定された.すでに国内でもミニチュアダックスフンドにおいてマール遺伝子の遺伝子検査が可能となっている.マール遺伝子は,毛色に関与していることもあり,毛色遺伝子と考えられがちである.しかし,私の現在行っている調査では,この遺伝子は毛色以外にも眼底にも影響を与えている.毛色に影響を与える遺伝子の中のいくつかは,眼底に影響を及ぼす.これらについては,今年のうちに発表する準備を進めている.
 マール遺伝子の他にも,毛色の薄い固体においては,色素に影響を与える遺伝子が関与して,脱毛を呈する個体も確認されている.毛色と関連した脱毛症は,皮膚科のほうでも紹介されはじめているので,獣医師の認知度は高くなっている.白・黒,または白黒を含む三色の被毛の黒色被毛領域のみ炎症も痒みも伴わないで脱毛するBlack hair follicular dysplasiaのような散発的に見られるものや,ブルーと呼ばれる毛色や希釈された被毛色の犬に多く発生する遺伝性の非炎症性脱毛症であるColor Dilution Alopeciaも毛色に影響を与える毛色関連色素遺伝子が関連した遺伝性疾患もある.単純に望む毛色を作り出そうとするだけなら,毛色関連色素遺伝子を考えれば作り出すことは可能である.しかし,望む毛色を作り出すことができても毛がなくては意味がないのである.
 珍しい毛色を求めて無計画な交配を行うのではなく,すでに毛色関連色素遺伝子が複雑に影響を与える毛色の遺伝形式の多くは分かっている.獣医師は繁殖に際して,生まれてくる毛色に対しても,飼い主さんに説明しておく必要性もあると考えている.ここで,私の病院での実例を紹介する.
 帝王切開で生まれたミニチュアダックスフンドで,全てブラックタンが産まれたことがあった.その子供を飼い主さんに渡したら,
 「なんだ,ダップルじゃなかったんだ.あまり高く売れないな.」
 と言われた経験がある.生まれてきた命に対して失礼である.当然,ダップルという高値で売買されている(されていた)毛色が生まれる交配は行われていない.そのことを飼い主さんにお伝えすると,「今度はそういう交配を教えて!」と言われた.この時は,丁寧に断らせていただいたが,このような飼い主さんに対してこそ,きちんと説明しておく必要があると考えている.当たり前のことであるが,毛色(外観上の美)を求めるよりも健康を求めて欲しいものである.小動物診療に携わる獣医師が,命の尊さまでを話し,教える時代にはなってほしくないものである.
 最後に,フランス語では,マールという言葉は「ムクドリ」という意味があるようだ.そして,「le merle blanc」=「白いムクドリ」という言葉は,「存在しない,あるいは存在していることが不思議でめったに見ることができない人や物」ということを意味するそうである.いたずらに人間がそういう個体を作り出していいものなのだろうか?



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