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馬耳東風

 すべての生物は,本能的にできるだけ自分の遺伝子を持った子孫を残す努力をする.母鳥は,いかに自分が空腹であっても,遠くの空を飛んで餌を探し,それを雛鳥に分け与えることを忘れない.インドにいるハヌマン・ラングールという猿は,ボス猿が代わると,前のボス猿が雌猿に産ませた子供を雌猿に殺させて,新しいボス猿である雄猿の子供を雌猿に生ませるという.同じことが,アフリカのライオンでも見られると聞いたことがある.いずれも自分の遺伝子(DNA)を後世に残すためである.冒頭に“すべての生物に”と書いたようにこの本能は動物だけの話ではない.原生動物もしかり,さらに植物にもその努力の跡が見られる.
 そこで思い出すのがドーキンスの遺伝子乗り物論である.「利己的な遺伝子」という題名で和訳も出ているのでお読みになった方も多いと思う.もちろん前述のような生物学的な事実も引用されているが,ニヤリとさせられ納得が出来たのが,嫁姑論である.これは洋の東西を問わず,また時代を超えての永久の問題であるようだ.姑の立場から見れば,息子には自分の遺伝子が半分伝わっている.だから可愛い.しかし嫁には自分の遺伝子は一切伝わっていない.だから本能的には可愛いはずがない.ただ孫が生まれると,自分の遺伝子の1/4を伝えてくれたわけであるから,どこかの大臣の言ではないが,自分の遺伝子を後世に残す子供を産む機械として一応可愛い.しかし孫の方がもっと可愛いに決まっている.もし嫁が浮気でもして,自分の遺伝子が全く伝わっていない子供でも出来ようものなら許せるわけがない.一方息子の浮気は道徳的にはともかく,本能的には自分の遺伝子の何分の一かをこの世に残してくれているので,まあ許せるというわけだ.しかし地球上では,人間は社会生活を営む上でのいろいろな取り決めがあり,本能のみ生きることは許されない.人類繁栄のための叡智として宗教や道徳観に多くのタブーを設けてきたのだ.ただ歴史上の多くの権力者は合法的にそのタブーを逃れるべく策を講じてきたことも否定できない.わずか数年前であるが皇室典範改正論が起きたときに,天皇制護持のためにと称し,側室論まで飛び出してきたのには驚かされた.
 一方,十数年前クローン羊誕生のニュースが世界を駆けめぐった.これは近代科学技術の大成果である.しかしこのニュースの評価は大きく分かれた.なぜか? そこにクローン人間の製造を予感し,何か涜神的な匂いを感じたからである.畜産分野ではスーパーカウのコピーや,良質肉の大量生産に結びつく技術であるのに,多くの科学者,技術者に躊躇感がみられる.もったいないと思う.我が国の畜産技術者は,人間社会ではとても許されないような家畜繁殖技術を開発し,家畜改良を行って来たではないか.畜産技術者はもっと胸を張ってクローン技術の開発改良に取り組んでは如何なものだろう.

(子)