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学術・教育

−獣医学学位取得者からのメッセージ(VI)−
学位取得にかけた思い

河合一洋 (十勝農業共済組合南部家畜診療センター・北海道獣医師会会員)

河合一洋
 私は,平成17年12月に酪農学園大学にて学位を取得した.思い起こせば平成10年10月に酪農学園大学獣医学部獣医衛生学教室の永幡 肇教授のもとで研究生として研究を始めて以来,7年間という月日を経て,私の臨床獣医師としての20年目の節目の年に,ライフワークとしていた乳房炎のテーマで学位を取得できたことに大きな喜びを感じている.改めてお世話になった方々に対し,心から感謝を申し上げたい.
 私が獣医師を目指したのは,共済の獣医師として生涯を全うした祖父の影響が大きかったように思う.私が幼少の頃,よく祖父の診療現場に連れていってもらったものだった.その頃は今の私たちとは異なり,時間に追われることなくゆったりとした環境の中で仕事をしていたように記憶している.子供の私にとって非常に退屈な時間に感じた診療が終わっての酪農家に上がり込んでからの話は,祖父にとっては酪農家との信頼関係を築く大切な時間であった.
 私は,獣医師としてこのように生きた祖父を尊敬し,そのうしろ姿から人との接し方を学んだ.私たちの働く臨床現場では,家畜と獣医師の間に畜主が存在する.畜主との信頼関係がないと患畜の正しい情報を得ることができないため,物言わぬ家畜と獣医師を繋いでくれる畜主の存在は重要である.まさに疾病の予防事業などを展開しようとしている近年では,畜主との信頼関係はさらに重要であると感じる.一方,私たちは獣医師であり,医師という名の付く科学者である.常に好奇心,研究心を持ち,獣医師として自らをスキルアップすることを忘れてはならない.獣医師たるものは,畜主に信頼される人間性と獣医師としての高い技術の両方が備わらなければいけないと考える.まさにこれが私の理想の獣医師像であり,私の学位取得の思いはここから始まったのである.
 共済組合に就職した後,私が特に乳房炎の研究を始めようとしたきっかけは,毎日の診療の中で酪農家が乳房炎という病気に悩み,それが経営上大きな損失となっている現状に直面し,それが獣医師として取組むべき喫緊の課題であると感じたからである.当時,良き先輩にも恵まれ,協力を得ながら診療所で細菌検査を始めたのが乳房炎の仕事の第一歩であった.その後,乳房炎は治療も重要であるが罹患しないための予防も重要であると認識し,関係機関との連携の中で予防のための指導をするようになった.ちょうどこの頃,獣医師だけでなく他の畜産関係機関が乳質改善に係っている中,酪農家に同じように指導するために関係機関同士の意思の疎通が大切であることを実感した.そして,1994年に思いを共にする同士で十勝乳房炎協議会を設立し,乳房炎に関する情報交換や実地の調査研究を行ってきた.以来,現在まで60回を越える協議会を開催し活動を続けている.
 私の学位の研究テーマとなったラクトフェリンとの出会いは,ちょうど同じ1994年に現在の北海道NOSAI研修所が行った高度臨床研修に参加し,乳房炎乳汁中ラクトフェリン濃度を測定したのがきっかけであった.ありがたい事に職場の理解と信頼して協力してくれた酪農家のお陰で,臨床現場で仕事をしながら学位の研究を進めることができた.ラクトフェリンの物性については,古くから研究されており,その抗菌活性,抗ウイルス活性,免疫機能活性は,人の医療においてすでに応用され注目をあびていた.研究を進めていく中で,乳房炎に罹患すると乳汁中ラクトフェリン濃度も変化し,乳房炎の病態や治癒転帰に関わりが深いことがわかり,乳房炎治療への応用を考えるようになった.そして潜在性乳房炎の牛にラクトフェリン加水分解物を注入することで体細胞数を低減させることに成功したのである.私自身,ちょっとした興味と発想から大きな研究に発展できたことにたいへん満足している.
 私たち臨床獣医師は,臨床現場にいると普段から多くの症例に遭遇し,また,さまざまな疑問にも向き合う.しかし,そこで一歩立ち止まって好奇心をもって考えてみる気持ちがあれば,誰にでも学位への道は開けると思う.そのためには,日頃より自己研鑽に努め,日々の診療をより充実させていく努力が必要である.私は,論文博士で学位を取得した.論文博士は連合大学院などのコースでの取得とは違い,大学に定期的に通う義務はなく,自分の休みに合わせて大学に足を運べばよいという利点がある.しかし,自分のペースで研究を進められるということの反面,研究を継続する強い意思がないとついつい月日ばかりが過ぎてしまう.実際,私も7年の年月を要したので,その間,自己啓発のため論文作成の他に講演や国際学会での発表(口頭2,ポスター4)を積極的に行った.このような苦労も,今考えれば自分をさらに成長させる大きな力になった.
 私の中での学位取得は,科学者として一つのことを成し遂げたという大きな証として心の奥に残っている.私はかつて恩師に「学位取得は単なる登竜門であり,取得した後に何をしていくかが重要だ」と言われたことがある.私は学位取得を一つの節目として,獣医師としての人格と専門性をより磨くことで,酪農家の期待に一つひとつ的確に応えていきたいと思う.そして今後とも“獣医師は科学者である”という理念のもとに,若手獣医師の育成や臨床現場と研究機関の掛け橋になり,使命感を持って努力していきたい.
 結びに,私たち獣医師は毎日の臨床現場が勝負の場である.患畜と真剣に向き合う中で生ずる新たな疑問や課題を学術的見地からどう感じ取っていくかが重要と考える.臨床現場には限りなく夢がある.学位取得に結びつく研究も,まさに気概を持って職責を果たす臨床現場からつかみ取ることができるものと考える.どうぞ一人でも多くの臨床家が,日々の臨床現場の中で獣医師としての医学を究めるために学位取得を目指していただきたい.



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