会報タイトル画像


解説・報告

私の歩んだ野生動物救護活動(V)
−ツキノワグマのアンケート調査結果から学ぶ,野生動物救護のあり方−

溝口俊夫 (福島県野生動物専門員,福島県鳥獣保護センター参与)

 本稿もいよいよ最終回となった.保護センターが取り組んでいるホットな話題で締めくくりたい.
 保護センターの活動を通して,どのような社会を創りたいのか.もちろん「共生社会」である.ところが,「共生」については総論賛成は多いが,各論になると,立場によって様々に意見が分かれる.昨年,NPO法人ふくしまワイルドライフ市民&科学者フォーラム(WCS)がツキノワグマのアンケート調査を実施した.調査対象地域として,次のような4タイプを選んだ.[1]クマの目撃もないし農作物の被害もない市街地,[2]里地で農業を営んでいて実際に被害を受けている地域,[3]周囲をクマの生息地に囲まれた山間地域,[4]自然豊かな観光地でクマの出没は時々見られるものの,農耕地がなく農作物被害がない地域.
 最初の質問は,クマに対するイメージで,「憎い」,「怖い」,「可愛い」,「可哀想」という4つの設問に対し「思う」「少し思う」「分らない」「あまり思わない」「思わない」という5つのレベルを問うものである.その結果,まず4つの地域に共通して第1位だったのが,「クマは怖い」というイメージである.私も同感であるが,実際に飼育してみると,図体の割にはすごく臆病なのである.タヌキの方が,遥かに度胸が座っているとさえ思う.第2位以下のイメージで,地域による違いが明らかになった.[1]市街地と[4]観光地では,「可哀想」>「可愛い」>「憎い」という順であったのに対して,[2]里地と[3]山間地では,「憎い」>「可愛い」>「可哀想」という順になったのである.この「憎い」という回答は,[2]里地や[3]山間地のとくに被害の発生頻度や被害を経験している年数が長い地域ほど,その割合が大きいことが分かった.一方,[4]観光地では,姿が目撃されているものの,農作物の被害がないため「憎い」というイメージは市街地と同程度である.これらの結果から,「憎い」というイメージは,農作物の被害と直結していると考えられた.
 設問の最後は,福島県のクマに対する「未来選択」である.被害地の住民では30%弱の人が「根絶させたほうがいい」を選んでいるのに対して,市街地の住民では「根絶させたほうがいい」は僅か5%で,逆に60%もの人が「クマはいるべき」と回答している.因みに,被害地で「クマはいるべき」を選んだ人はゼロである.このように,被害地ではクマに対しかなり厳しい視線を持っていることが分かる.ただし,せめてもの救いに思えたのは被害地でも約50%の人が,「どちらとも言えない」「分からない」のいずれかを選んでいる点である.もっとも,今回のアンケート調査では世帯主だけではなく,18歳以上の世帯構成員全てを対象としているので,若者や主婦層のなかには総論と各論の間に揺れ動いている人たちも相当数いたのではないかと考えられる.
 アンケート調査を通じてWCSとして考えた結論が,クマ問題では,「被害発生や防除」の問題と「共生」の問題を同じ土俵で考えるべきではないとは言うものの,被害の発生を軽減し,「憎しみ」を緩和することが前提にないと,被害地において「クマとの共生の問題」は進まないということである.これは野生動物救護の活動でも同じである.野生動物の獣医師になりたての頃,カモシカが倒れているという通報を受けて,奥羽山系にある山間地に向かってジープを走らせた.道路わきで横たわっているカモシカがいて,心音も弱っていたので頸静脈からリンゲル液の点滴を開始した.ところが,周りに集まった地域の人たちの目が,どうも好意的とは思えない.そこで,気づかれないように,周りの声に耳を傾けた.「何でカモシカのために,わざわざ獣医師がやってくるのか」,「自分たちの時は,往診に来てくれることはまずないのに」,「カモシカは白菜や豆を食べて悪さばかりしているのに」,ざっとこんな按配である(図1).カモシカの救護が地域医療やカモシカの食害問題を解決しないと成立しないと言うつもりはない.しかし,「共生」するのも,「敵対」するのも,全て人の心が決めることである.しかも,里地や山間地域こそが,多くの野生動物の生息地であり,都市住民との考え方の隔たりだけではなく,被害という現実と「憎しみ」という感情が渦巻いている限り,「共生」という私たちのテーマにはなかなか到達しえない.もう一つアンケート結果で気になったことがある.「被害対策の実施者」と「費用負担」についても質問したところ,市街地と被害地の差はなく,行政が対策の実施者であり,また費用負担者であることを望む声が圧倒的に多かった.ついで,「専門家団体」や「被害地居住者」「県民全体」という回答が同割合で,行政と答えた人の1/3程度しかなかった.
図1 山間地域では農作物被害のため必ずしも歓迎されていないカモシカ

図1 山間地域では農作物被害のため必ずしも歓迎されていないカモシカ
 以上の結果をどう受け止めるのか.人それぞれ,受け止め方に違いがあるとは思うが,少なくとも,将来にわたって豊かな自然環境を保全していくことの必要性はある一方,農山村部に生活する人だけが危険や被害と隣あっていることの不公平感が根底に燻っているように思える.また,農山村や農林業も同時に守っていくことの大切さを多くの人が望んでいる一方で,それは環境保全のためであって,農山村の生活や産業を守ることと必ずしも同義ではないのかもしれないし,これらを調べるのは社会科学の分野である.しかし,このような社会の上で野生動物救護活動が行われている以上,例え獣医師だとしても避けては通れない問題であろう.また,費用負担の問題であるが,行政はクマ問題だけではなく年金や医療,経済など様々な難問を抱えている.時代の変化が激しく,行政だけに頼らない問題解決の方法を探っていかなければ,手遅れになる危険性だってあるだろう.まさに緊要な課題なのである.
 前回,報告したように,福島県鳥獣保護センターの機能や基準を見直すために,平成18年1月から5回ほど「鳥獣保護センター運営検討委員会」が開催された.そこで,これまでにない新しいミッションが打ち立てられた.それが,「緊要な課題への対応」である.ツキノワグマだけではなく,シカやサルやイノシシ,カワウなど,日本各地で,人と野生動物とのさまざまな軋轢が深刻化している.このような課題に対して,これまで鳥獣保護センターで培ってきた野生動物医学の技術や野生動物の飼育から得られた知見を駆使して問題解決のために役立てるというのが,このミッションの主旨である.
 まず,ツキノワグマをテーマにして,緊要な課題への対応の行動計画が作られた.注目したのがこれまでの被害防除の方法である.これはアンケートの結果にもはっきりと表れていた.被害を受けている農家の半数近くが被害対策を何もしていないと回答したのである.そして,最終的に頼るのがワナによる有害捕獲である.平成18年は,異常出没が相次いだ年であるが,日本全国で4500頭以上が捕殺された.現地の声を集めると,被害農家の多くが捕獲することを望んでいる.アンケート結果からも,60〜80%の人が有害捕獲の必要性を認めているのである.しかし,有害捕獲の効果となると「効果がある」と答えた人は30〜50%に減少する.ここからは,有害捕獲にのみ頼らざるを得ない現実が見えてくるようである.
 そこで,WCSと共同で行動計画1〜4が作られた.行動計画1は,情報の収集である.幸いなことに,福島県では昭和63年以降の有害捕獲された位置情報を得ることができた.これらをコンピュータ上で解析すると,福島県におけるツキノワグマの被害発生と有害捕獲の実施状況マップを年次系列で示すことができる.ここから,モデル市町村を抽出し,さらに被害防除のモデルを作ることができれば,最終的には全県に一般化することが可能である.行動計画2はモデル市町村からリアルタイムで被害発生情報を得ることである.ここまでは獣医師本来の仕事ではないが,過去と現在の情報がなければ次に取るべき行動が見えてこない.そして,平成20年度から,いよいよ行動計画3が始まり,被害防除の方法が試行されつつある(図2).3の段階になると,DNA鑑定や麻酔技術,栄養状態と繁殖,歯牙による年齢査定など獣医師として活動する様々なステージがある.とくに,行動を探査するための電波発信機の装着や学習付け放獣では安定した麻酔技術が要求される(図3).DNA鑑定ができれば,ヘアートラップ(被毛の採集装置)を仕掛けて里地に出没するクマの頭数はおろか,個体識別さえ行うことができる.また,北海道大学獣医学部の坪田研究室との共同研究では有害捕獲個体から様々な野生動物医学情報を収集している.被害防除だけではなく,保護管理を実施する際にも不可欠な情報となる.そして,行動計画4は全県への一般化の過程である.これまでに得られた情報を環境別に分類し,コンピュータ上で被害発生と防除のシミュレーションを行う.シミュレーション・モデルが作られれば,現実との比較検討によって,より複雑なモデルへと精度を高めていくことができるはずである.

図2 クマの被害を防ぐためブドウ園で電気牧柵設置のお手伝い

図2 クマの被害を防ぐためブドウ園で電気牧柵設置のお手伝い

図3 学習放獣するクマの健康検査

図3 学習放獣するクマの健康検査
 環境モニタリングや緊要な課題への対応,こんなミッションにチャレンジしていると,「福島県鳥獣保護センターはベンチャー企業みたいだね」と言われることがある.確かに,時代の変化に対応する様々な「救い方」やミッションがあるはずである.しかし,福島県鳥獣保護センターの基軸は「命を救うこと」であって,これは不変である.平成20年度から「命の尊厳事業」が始まる.これは,県内の小学校を巡回して,鳥獣保護センターの活動の紹介や野生動物のおかれている現状を伝えるための課外授業である.初年度は5校を予定している.このペースだと10年で50校.10年後には,「夢の扉」(TBS系列で昨年放送)のMY GOALで約束した期限がやってくる.それまでに「共生社会」を実現しなくてはならない.
 これまで5回に渡って連載してきた本稿であるが,毎回,思いつくままにキーボードを叩いてきた.本稿のタイトルは「私が歩んだ……」となっているものの,まだ私は現役で活動しており,まさに「私が歩んでいる……」という,試行錯誤の真っ直中における内容となったことを理解いただきたい.私自身,10年後には,ゆっくりと過去を振り返ることができることを祈っている.



† 連絡責任者: 溝口俊夫(福島県鳥獣保護センター)
〒969-1302 安達郡大玉村字長久保63
TEL・FAX 0243-48-4223
E-mail : wcf@guitar.ocn.ne.jp