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論 説

獣医師需給の動向と今後の対策

唐木英明 (東京大学名誉教授・日本学術会議第二部(生命科学)部長)

先生写真 近年,社会の中で獣医師が果たす役割は,飼育動物の診療業務が中心だけでなく,公衆衛生業務,動物愛護業務,医薬品開発等様々な活動に広がり,我が国の畜産業の健全な発達はもとより,飼育動物の保健衛生の向上及び公衆衛生の向上にも大きく寄与している.今後とも獣医師がこのような社会的要請に的確に応えていくためには,獣医療の提供体制の整備を適切に進めていく必要がある.農林水産省では獣医療を提供する体制の整備を図るために,平成22年度を目途に新たな方針を策定することとしており,そのために獣医師の需給見通しを把握しておく必要があるとして,平成18年に獣医師の需給に関する検討会を設置し,検討会は平成19年5月に最終報告書を公表した.検討会委員は,石井達郎((社) 全国家畜畜産物衛生指導協会副会長),奥澤康司(東京都福祉保健局参事),
唐木英明(座長・東京大学名誉教授),苫米地達生(群馬県農業局畜産課長),中川秀樹((社) 日本獣医師会副会長),山崎恵子(ペット研究会「互」主宰),吉田泰治(農林水産政策研究所主任研究官)の7名(五十音順・敬称略)である.
 ここでは報告書の概略を紹介するとともに,その中で指摘された産業動物診療獣医師の不足の解決策について私案を述べたい.

 1 獣医師の需給
 獣医師の供給数と必要獣医師数の見通しを推計し,需給見通しの評価を行った結果,獣医学関係大学の入学定員を現状のまま変更しない場合には,2040年までの期間に獣医事に従事する獣医師の供給総数は32,000人でほぼ一定であるのに対し,このうち診療業務に従事する獣医師については,小動物診療獣医師は2006年現在の約13,200人から約16,400人に増加し,産業動物診療獣医師は約4,200人から約3,100人に減少することが予測された.
 必要な獣医師数は,産業動物診療獣医師については約4,000人で一定であるが,小動物診療獣医師については,犬猫1頭当たりの年間診療回数及び小動物診療施設における診療の効率化の動向により変化することが予測された.すなわち,犬猫1頭当たりの年間診療回数が現状より伸びないと仮定した場合には,需給は均衡すると考えられるのに対し,今後犬猫1頭当たりの年間診療回数が10%及び20%増加すると仮定した場合においては,総体として1,600人ないし3,500人程度の獣医師の不足が起こると推計された.一方で,小動物診療施設における診療の効率化が進展した場合においては,犬猫の年間診療回数が現状値で推移する場合には,総体として1,000人から1,300人程度獣医師が過剰になり,犬猫の年間診療回数が10%増加した場合には,需給は均衡し,20%伸びた場合には1,900人程度の獣医師の不足が起こると推計された.
 産業動物診療獣医師の供給は,農林水産省による家畜の飼養頭数について政策目標値を勘案するか否かにかかわらず需要を下回り,産業動物診療獣医師の不足が発生するものと推計された.
 その原因は,獣医師の活動分野間の偏在であり,現状では新規参入者の過半数が小動物診療分野を活動分野として選択しており,今後の新規参入者の小動物診療分野への集中が進むものと予測されるためである.同様に畜産分野,公衆衛生分野等の公務員獣医師の確保も今後さらに難しくなっていくものと考えられる.
 したがって,今後,特に産業動物診療獣医師の不足により,地域において適切な獣医療が提供されないこと等の事態を回避するため,新規参入する獣医師の過半数が小動物診療分野を活動分野として選択し,他の獣医師の活動分野における獣医師の確保に支障が生じる傾向にあること等,獣医師の活動分野や地域の偏在が発生する要因や獣医師免許保有者の一定割合が獣医事に従事していない要因をより詳しく分析し,必要に応じこれを是正する取組みを強化すべきである.
 獣医師の需給の見通しについて本格的な推計が行われたのは今回が初めてである.そして,産業動物診療獣医師の不足が深刻になっていくことが数字で予測されたのも始めてである.今後は,上記のように不足の原因を調査し,その対策を早急に実施することが必要である.特に,平成22年を目途に農林水産省において定める獣医療法に基づく獣医療の提供体制の整備のための基本方針の策定や各都道府県における獣医師の確保に関する目標等都道府県が定める獣医療提供体制整備基本計画の策定の検討の際に,このような獣医師の活動分野間,地域間の偏在の是正は十分考慮されるべきものである.

図1 小動物診療獣医師の需給見通し
図1 小動物診療獣医師の需給見通し
小動物診療施設における診療が効率化された場合で,犬猫1頭当たりの年間診療回数が現状より伸びないと仮定した場合(現状)と,10%及び20%増加した場合(中位及び上位)を示す.


図2 産業動物診療獣医師の需給見通し
図2 産業動物診療獣医師の需給見通し
家畜の飼養頭数について政策目標値を勘案した場合としない場合を示す.


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