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紹 介

破傷風ワクチンを開発した獣医師G・ラモン

海老沢 功(元東邦大学医学部教授)

先生写真 1 トキノミノルと破傷風
 医学部を卒業してから60年,感染症を中心に研究を続け,特にマラリアと破傷風に最も力を注いできた.その縁で品川水族館のペンギンがマラリアで多数死亡した際,その治療薬の処方を依頼され,クロロキンとプリマキンを処方して無事水族館内のペンギンをマラリアから開放することができた.その経験は本誌(第60巻第1号)に揚載していただいた[1].
 一方,昭和26年6月中旬,筆者が破傷風の研究を始めた頃,破傷風に罹患している馬の治療に使用する抗毒素の用量について相談を受けたことがある.人と動物の共通の感染症である破傷風は人の他に馬[2],牛,羊,象[2]などがあり,特に馬の破傷風は競馬界では経済的にも甚大な被害をもたらす.当時人に使用している用量から馬の体重と比較し所要量を計算すると,薬剤の金額が100万円近い数字になったことを覚えている.後日,この馬がトキノミノルであったことを知らされた.トキノミノルは地方競馬会から中央競馬会に所属を変更後,連戦連勝で「幻の名馬」と詠われた俊足の競走馬である.なお,重症破傷風患者の治療には抗毒素のほかに気管切開や人口呼吸が必要であるが,馬の場合はおそらく傍らでその経過を見守るほかに手立てがなかったと考える.
 トキノミノルは1951年6月20日破傷風で突然死亡したため,経済的損失も大きかったことと思われる.これを機会に中央競馬会所属の競走馬はすべて破傷風の予防注射を受けることになり,以後破傷風罹患馬の発生はなくなった.地方競馬会所属の馬の破傷風予防注射は少し遅れて開始された.
 以上のような経験をしたこともあり,破傷風に対し医学の分野で極めて重要な発見をして,人類を危険な感染症から開放したフランス人の獣医師,ガストン・ラモンの業績を紹介したい.なお,横浜市の根岸競馬記念公苑に建てられたトキノミノルの銅像(図1)の台座には表に幻乃馬,裏面に破傷風で死亡したことが詳しく記されている.
図1 幻の名馬といわれたトキノミノルの銅像
図1 幻の名馬といわれたトキノミノルの銅像

 2 破傷風とジフテリアワクチンの開発者G. Ramon
 破傷風の予防注射に使うワクチン,別名トキソイドは現在までに開発されたすべてのワクチンの中で,最も優れたワクチンである.このワクチンを開発したのが,パリにあるアルフォール獣医学校の卒業生であるG・ラモンGaston Ramon(1886-1963)[3]であり,医学の発展に多大の貢献をした研究者である(図2)[4].彼のジフテリアと破傷風ワクチン開発の経過を簡単に述べて獣医学と医学の接点となった研究の経過を紹介する.
図2 G.ラモンの胸像
図2 G.ラモンの胸像

 (1)G・ラモンの初期の研究
 ラモンはパリ近郊にあるアルフォール獣医学校Ecole Veterinaire d但lfort)を卒業(1910年)後パスツール研究所に入り,馬を用いた破傷風とジフテリアの抗毒素の製造,つまり微量の毒素注射からある程度免疫ができた際,大量の毒素を注射して馬に抗体を作らせ,最後に馬の全採血と血清分離などを行う,といった実際的業務を担当していた.そのうちに第一次世界大戦の勃発(1914)により戦線の病院等の要求から,破傷風抗血清の需要が急速に伸びてきた.ところが折角数カ月を要して生産した抗血清が雑菌混入のため使用不能になることが頻発した.彼は,この腐敗防止対策をパスツール研究所のルー(E. Roux)所長から緊急業務として指示された.馬の血清に加える腐敗防止の薬剤に何を選ぶべきか.当時最も使用されていた薬品は石炭酸である.これを人体に注射する破傷風抗血清に加えるべきか,いろいろと迷ったことであろう.そこで彼は学生時代に化学の教授モンヴォアザンから習った牛乳の腐敗防止には牛乳1lあたり,指貫一杯のホルマリンを加えれば良いことを思い出した.
 この指貫は刺繍や裁縫をする時,指先を保護するための金属製の容器で,フランス語でde á coudre(裁縫に使うサイコロ,フランスでは賭けをする時,いくつかの指貫の中に豆を入れて伏せ,賭け事に使っていた)とよぶ.ドイツ語ではFingerhut(指の帽子),英語ではthimbleと呼ぶ.指貫の用量は2〜3ml のものが多い.
 ホルマリンは刺激臭のある防腐剤で人体のみならず動物の死体や臓器の保存にもよく使われる化学物質である.彼は試行錯誤の末,破傷風抗血清に対して1,000分の1の割合にホルマリンを加え,56℃で30分加熱することにより,破傷風抗血清の腐敗を完全に抑えることに成功した.その後前線に送った破傷風抗血清は腐敗することがなくなり,ラモンはルー所長から大変評価されたという.なお,この56℃で30分加熱という殺菌法はパスツールが発見したものである.
 牛乳の腐敗防止にホルマリンを加えることは1980年代まで日本でも使われていたようである.おそらく遠隔地で得られた牛乳を中央の研究所に送る際に用いられたらしい.1952年筆者が米国ニューオリーンズにあるツーレイン大学に留学した時,微生物学の教授は自分がボストンから当地に赴任した頃,ここの牛乳にはホルマリンの臭いがしたと述べていた.

 (2)ジフテリアトキソイドと破傷風トキソイドの開発
 1920年代にはジフテリアが流行し,兄弟4人いる家庭では必ず1人はジフテリアで死亡していた.ラモンはその唯一の治療薬抗血清の製造に携わっていた.出来上がった抗血清の力価検定として細菌濾過膜を通して無菌にした毒素と抗血清を混合し,これをモルモットに注射してその生死により抗血清の力価を判定していた.ところが無菌にした毒素液がしばしば雑菌混入のため使えなくなることがあり,その腐敗防止に学生時代に教わった指貫一杯のホルマリンの防腐作用を思い出し,まず毒素液2lに1mlのホルマリンを加えた.ところがその毒素液は無毒になってしまい抗血清の力価検定に使えなくなった.
 ラモンはその前に毒素と抗毒素を適当な割合で混合するとモヤモヤした綿屑のような沈殿物 flocon ができることを発見しており,これを師のルーは flocculation 反応と名づけた.眼に見えない毒素が眼にみえる沈殿物をつくる.これは当時としては画期的な現象の発見であった.
 ところがこの無毒のジフテリア毒素液に適量の抗血清を加えると,試験管内でモヤモヤとした沈降物ができ,無毒の液が抗原性を保っていることを確認した.そこでラモンは無毒でかつ抗原性があればワクチンとして使用できるのではないかと考え,見事にジフテリアのワクチン(アナトキシン; anatoxine,anaは否定語)の製造に成功したのである.この成功が破傷風のトキソイド作製に繋がった.
 その効果というと,第二次世界大戦中フランス軍の全ての将兵は破傷風予防注射を受けてから戦線に送られたが,結果として破傷風患者は皆無であった.一方,日本軍は外傷を受けてから抗毒素を接種していたので,マーシャル群島における戦闘の負傷兵284人中14人が破傷風を発生した[5].なお,敗戦のため,その他の地域の破傷風患者の発生数の記録はない.

 ラモンは大変几帳面な人物で,破傷風毒素と抗毒素をそれぞれ階段希釈し,その混合物の中に起きる沈殿物の発生,各混合液のモルモットに対する毒性などをA4版の実験用ノートブックに詳細に記載しており,このノートがラモンの生家に残存していたことから,筆者はこれをラモンの長男から譲り受けた.このノートは,個人で所有する物ではないと思い,北里研究所に寄贈した[6].

 

参 考 文 献
[1] 海老沢 功:ペンギンのマラリアの治療経験,日獣会誌60,25-26(2007)
[2] 海老沢 功:大型動物の破傷風,日本病院会雑誌,50,1227-1230(2003)
[3] 海老沢 功:G.ラモン(1886-1963)の伝記,Medical Postgraduates,24,19-28(1986)
[4] 海老沢 功:アルフォール獣医大学訪問記,馬の科学,28,125-127(1991)
[5] 海老沢 功:破傷風,第二版,日本医事新報社(2005)
[6] 海老沢 功:G.ラモンのノートブックについて,日本医事新報,3387,62-63(1989)

 


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