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論 説

 2 英国の新型ヤコブ病
 1988年,英国政府はBSEの症状を表す牛の廃棄と,肉骨粉の禁止を実施し,翌1989年に危険部位の食用を禁止した.これらは,人の健康を守るためにきわめて重要であった.
 1995年,政府は追加措置として,脊椎や肋骨を含む骨から肉を取り外した後に,これを破砕して残った肉を回収する,いわゆる機械回収肉を禁止した.これはソーセージ,パイ,バーガーなどに使用する安価な肉なのだが,プリオンを含む可能性があるせき髄や神経節の一部が混在する可能性があったためだ.
 BSEの数が年間8,000頭まで減少し,人々がBSEの終結を予想した1996年,政府は新型ヤコブ病の症状を表した3人の若者がBSEに感染した可能性を認め,「1989年の危険部位食用禁止以前にこれを食用にした可能性がある」と発表した.
 それまでは,政府は牛肉の安全性を繰り返し保証していた.牛肉そのものは安全だったのだが,そこに危険部位の汚染があったことを政府は認識していなかったのだ.BSEは人間には感染しないと考えていた国民は,この発表を政府の裏切り行為ととらえた.
 英国では18万頭以上の牛が平均5歳でBSEの症状を表し,死亡した.BSEの症状を表した牛は廃棄され,食用にはならなかった.一方,ほとんどの牛は平均3歳以下で食用になる.これはBSEの症状を表す2年以上前である(表1).英国人は,潜伏期間であったためにBSEと気付かずに,危険部位で感染した牛肉を食用にしてしまった.その数は最低100万頭と推測されている.
 その後,患者の数は増えて,2000年には年間28人に達した.新型ヤコブ病は治療法がなく,患者は約13カ月で死亡するため,大きな恐怖が広がった.しかし,その後,患者数は減少し,2006年には年間5名,死亡者総数は2007年4月現在159名である[3](図1).Ghaniら[4]は2003年までの患者数の推移から,最大540名の患者が出ると推測している.
 1989年に危険部位の食用を禁止したにもかかわらず,1996年に新型ヤコブ病が発見され,その数が減り始めるのに約12年かかった(図1)のも,長い潜伏期間のためである.
 新型ヤコブ病が発見されたときに,専門家委員会はプリオンが集積する可能性がある神経節とリンパ組織が食肉に混入しない措置を徹底するために,政府が認可した食肉処理施設において,食肉から脊椎を除去する措置を勧告した.しかし,政府は発病の時期に近い30カ月齢以上の牛は食用にせずに廃棄処分にする,いわゆる「30カ月令」を採用した[1].
 その理由は,脊椎の除去だけでは消費者の不安をぬぐうことができないと考えたためであった.事実,スーパーマーケットは,30カ月以上の牛の肉を販売しない方針を明らかにしていた.さらに,政府機関の監視の下にすべての牛の脊椎を除去することは,事実上困難であった.加えて,英国の牛肉輸入を禁止した欧州連合(EU)の説得にも役に立つというもくろみもあった[1].
 この措置のために,800万頭以上の牛が処分され,37億ポンド(約8,800億円)の費用がかかった.2005年11月,政府は食品基準庁の勧告を受けてこの措置を変更し,EUと同様に生後30カ月齢以上の牛のBSE検査を開始した[5].
 英国がBSE問題で苦しんでいるときに,ドイツ政府は国内にBSE問題はないと主張していた.2000年以前に発見された6頭のBSEはすべて英国とスイスから輸入されたものだったからだ.ところが,全国的なBSE検査が始まった2000年に7頭,2001年に125頭の感染牛が発見された.こうして,ヨーロッパでもっとも厳しい食品安全の基準を持つ国であるという,ドイツの長年の看板は崩れた.
 フランスでは,1999年に31頭のBSEが見つかった.そのうち1頭は輸入牛であった.2000年にBSE検査が始まると,この数は161頭に,そして2001年に274頭に急増した.感染牛の肉が市場に出回る事件も重なって,国民の間に大きなパニックが起こった.
 1988年,英国政府は牛などの反芻動物に肉骨粉を与えることを禁止し,1996年に肉骨粉の使用を全面的に禁止した.この禁止措置により,英国の肉骨粉製造企業には在庫が山積みになり,その売り先を海外に求めた.こうして,英国の病気であったBSEが,ヨーロッパ,アジア,アメリカにまで広がっていった.新型ヤコブ病が発見された1996年に,EUは英国からの肉骨粉の輸入を禁止し[6],世界各国が追随した.
 2006年5月2日,英国のBSEが成牛100万頭当たり200頭以下に減少したことを受けて,EUは英国からの牛肉及び牛製品の輸入禁止を廃止した[7].これは,英国におけるBSE問題の終焉を象徴する出来事である.2006年10月13日,スイス連邦獣医局のDagmar Heim博士は,東京でのBSEの講演の最初に驚きの念を表明した.それは,いまやヨーロッパでBSEに関心を示す人はほとんどいないのに,日本ではその講演会に多くの人がつめかけたからである[8].

 3 英国とEUのBSE対策
 1988年に,BSEを拡大させる原因が肉骨粉であることがほぼ明らかになり,BSEの拡散を防止するために,英国政府は,反芻動物の飼料に反芻動物由来のタンパク質を使用することを禁止した.この措置により,BSEは激減した.
 1988年,英国政府は予防措置としてBSEの症状を表す牛の食用を禁止し,1989年に危険部位の除去・焼却を実施した.これは新型ヤコブ病の防止のために必須の規制であった[1].
 英国の経験に習って,EUは,1994年に,牛,羊,山羊に哺乳動物の肉骨粉を与えることを禁止し,2000年には牛,羊,山羊の危険部位の食用を禁止した[6].
 1998年5月にEUは,BSEを疑わせる神経症状を示す「高リスク動物」に的を絞って,BSE検査を開始した.その結果,それまでBSEがなかった国々で,初めてのBSEが見つかり,パニックを引き起こした.消費者の信頼を回復するために,EUは「安心対策」が必要になり,2000年1月から,食用になる牛のうち,30カ月齢以上のものはすべて検査することとした[9].
 BSE検査は,脳に蓄積したプリオンを検出するものであり,十分量のプリオンが脳に蓄積するまではBSEを発見することができない.検査でBSEを発見できるのは発症の半年前(平均54カ月)といわれる(表1).30カ月齢以下の牛では,脳のプリオンの蓄積が少ないために,BSEをほとんど見逃すことになる.30カ月齢以上の牛であっても,プリオンの蓄積が検出限界量以下であれば,やはり見逃しが起こる.さらに,生きている牛を検査することは不可能である.
 もちろん,理想的な新型ヤコブ病対策は,すべてのBSEを発見して,これを食用からはずすことである.しかし,現在のBSE検査は,感染牛の一部しか発見できないため,EUはBSE検査の目的を,第1は「調査」,第2に「追加的な安全対策」として,次のように説明している[10].
 1)調査(サーベイランス):検査により,BSEがあるのか,その罹患率はどの程度なのか,概略を知ることができる.検査を繰り返すことにより,罹患率の変化を監視することができる.
 2)追加的な安全対策:BSEは比較的まれな病気である.しかし,と殺時の検査により,潜伏期間の牛,あるいは,ほとんど症状を示さない感染牛を発見できる可能性がある.そのような牛を食用から除去することは,追加的な安全対策になる.ただし,最も重要な安全対策は,と殺したすべての牛の脳やせき髄などの危険部位を除去することである.これらの組織には,感染性のほぼすべてが含まれるからである.
 2004年7月2日,欧州食品安全機関の長官であるHerman Ko・er博士が東京を訪れ,EUの食肉処理施設におけるBSE検査の実施率は70%程度であり,100%ではないことを明らかにした.そして,危険部位の除去によりBSEのリスクは大きく減少するのであり,BSE検査はリスク削減の補助手段に過ぎないと説明した[11].
 実際に,危険部位の除去によりBSEのリスクは許容範囲まで減少するとして,スイスはBSE検査を義務化していない.
 英国では30カ月齢以上の牛を食用からはずしているが,これもまた安全対策としてだけではなく,安心対策の意味が大きいことは述べた.2005年に,英国政府は「30カ月令」を,30カ月齢以上の食用牛の検査に変更した[12].
 日本で行われている全年齢の全頭検査の科学的意義について,TsutsuiとKasuga(2006)が検討し,全頭検査を行ってもBSEの約80%は見逃すが,これを30カ月以上の検査に変更しても見逃しは約84%で,ほとんど変わらないこと,さらに,99%以上のプリオンを含む危険部位の除去は効果的にBSEのリスクを削減することを示した.また,危険部位の除去により控えめに見て95.2%のリスクが軽減すると仮定すると,これと30カ月齢以上の検査を組み合わせると99.9%のリスクを除去できるが,全頭検査と組み合わせても,効果は変わらないことを示した[13].このように,検査は30カ月以上で十分なのである.

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