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論 説

獣医学系大学に規制緩和の波は寄せるか

池本卯典(日本獣医畜産大学学長)・政岡俊夫(麻布大学学長)

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池本学長
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政岡学長
  「ややもすれば社員は傲慢になり,成功に溺れる」これは,トヨタの会長である奥田 碩氏の自戒だという.私達は,決して溺れたり,傲慢になってはいないが,今のところ獣医学系大学は安泰であり,優秀な学生を集めることに成功している.その理由のひとつは,医師・歯科医師・獣医師・教員や船舶職員養成の5分野は「大学・学部の設置及び収容定員増については抑制的に対応する」とした大学審議会答申に基づく文部科学省の通達により,今のところ学部の増設や定員増は認められていない.したがって,事実上の総量規制により入学定員は抑制され,その副作用として,獣医学系学生の質と量は確保されている一面を否定できない.
 ところが,平成17年7月に出された中央教育審議会の「わが国の高等教育の将来像:答申」によれば,今後の人材養成の分野別構成等に関する考え方として,「抑制方針が維持されている医師・歯科医師・獣医師・教員及び船舶職員の5分野については,人材需給見通し等の政策的要請を十分に見極めながら,抑制の必要性や程度や具体的方策について,必要に応じ個別に検討する必要がある」と述べている.
 この答申に基づき,文部科学省は5分野のうち教員養成に係る抑制の在り方に関し,専門的に検討する調査研究協力会議を設置すると報道した.また,先日の私立大学協会の総会において,文部科学省の高官は獣医師等についても検討の余地もあると発言され愕然とした.
1 教員の養成は規制緩和
 教員の年齢構成等からみて,今後教員の必要数は増加すると予測されている.たとえば,平成16年度における公立学校教員の退職者見込数は7,723人,それが平成30年には25,022人に増加するといわれ(日経新聞記事),すでに一部の都道府県においては,需給のバランスに齟齬をきたしているという.また,大学は教育研究組織の編成に当たり,大学の裁量権による学科名称の多様化等により,教員養成を主とする教育分野の特定を困難にした.これらを理由として教員養成課程の定員を抑制する根拠は乏しくなったと解説している.因みに,日本獣医畜産大学の獣医学部・応用生命科学部の学生でも教員志望者は,学内で開講している教職課程を履修することにより,農業・理科の中学・高校教員免許証を取得することも可能である.
2 薬学部の規制なき現在
 大学や学部等の新設に規制のない薬学部は表に示すような増加傾向にある.医療需要の拡大もさることながら,資格社会を反映して薬剤師免許希望者による薬学系大学入学希望者の増加が背景にあるといえよう.平成16年度の入学定員は56校・10,325人と増加し,医学(80校:7,730名)・歯学(29校:2,965名)・獣医学(16校:930名)を超えている.因みに看護師養成校と学生数は(1,097校:165,843名)である.
 その薬学部は平成18年度より,2元化して6年制と4年制に分れる.学校教育法第55条第2項は改正され,医学・歯学・獣医学・医療薬学系は6年制と定められた.しかし,4年制の薬剤師国家試験受験資格を持たない薬学専攻(学校教育法第55条第1項)の学科も残るようだ.
 薬剤師が医療人としてのステイタスを保持するためには,医師・歯科医師と同様に6年制教育や臨床研修は必須であろう.しかし,薬剤師のインフレは職種の社会的地位低下を招きかねないと思われる.現在でも4年制の薬剤師の初任給は3年制の看護師より高額とはいえない.因みに,薬剤師法は昭和35年に制定され,それまでは薬事法に含まれており家畜改良増殖法と人工授精師との関係に相似していた.いずれにしても,医療・薬物療法等の高度化等に対応して,薬剤師はこの半世紀猛烈な努力によって職能集団の力量を強化してきた.
3 獣医学系大学の規制緩和
 獣医学系大学及び学部・学科は国公私立合わせて16校,学生定員は930名であることはすでに述べた.申すまでもなく,獣医学教育は,伝統的に農学部の一分科として存続しているが,最近の教育基準は農学から分離し,獣医学として独立した.その農学部に昨今押し寄せている潮流は,学部名の変更・学科名の変更,学部・学科組織の見直しなど目白押しである.
 日本の農学はかつて「農は国の基」として国を支えた.しかし,今や逆転傾向さえ伺える.農業の憲法ともいえる食料・農業・農村基本法の視点も多様であり,国際的視点と農業の持つ多様な機能の重要性は強調されているが,産業としての視点や国家政策としての役割を強く示しているとはいえない.現代の専業農家や畜産家の経営様態はまさに大学農業や大学畜産,かつて筆者らが実践した農業は今からみるとまさに小学校農業といえよう.その意味では農業栄えて農学枯れるといえるかも知れない.
 その中で,獣医学系大学の志望者は,今のところ医学系に次いで安定し,倍率は医学・歯学や薬学に比較してむしろ高いといえよう.とはいえ,受験生が極端に増加しているわけではない.各獣医学系大学を併願する受験生も多く,北から南へ受験して巡る数千人の集団から約1,000名が入学しているのが現実である.この現象が何時まで続くか,その永続を祈って止まないのは関係者の悲望である.
 さて,獣医学系大学の設置や学部の開設が規制緩和によって自由となれば結果どうなるか,それに論は俟たない.一挙に数大学・数学部は増設されるであろう.それは,薬科大学・薬学部の増設傾向ですでに実証済である.平成12年の46校が平成16年には56校,平成17年には57校に増え,薬学系の学生定員は7,820人から10,325人に増加した.この増員数が将来の薬剤師需給にどう影響するか注目されている.
 さらに,平成18年度には,4薬系大学(横浜薬・高崎薬・大谷女薬・松山薬)が開学し,戦国時代を迎えようとしている.
 獣医師不足は地方自治体から声が上がり,国会ロビイスト達は活発に動いていると聞く.また,獣医学部創設を公約して当選した市長,それと握手した私立大学経営者をメディアはすでに報道している.また,農学部の学生募集に苦慮している国公私立大農学系があるとすれば,獣医学科開設は学生応募数の復活に賭け大きな目玉になろう.
 現実に獣医師は不足しているだろうか.獣医療法の求める都道府県計画と獣医師需要数及び将来計画の真実を早く知りたいものである.仮に獣医師不足が明確になった場合,如何なる応需戦略が構想できるだろう.喉元思案ではあるが,先ず必要なのは獣医学教育改善であり既存の獣医学系大学及び学部・科の教育・研究基盤の整備が急がれる.もし,獣医学系大学,学部等の新設を許せば,軒を貸して母屋を奪われるの類となろう.獣医師の再配分,獣医療関連職種の見直しによる職務の分担等も考慮して欲しい.家畜保健衛生所の構成をみると,獣医師8:2他職員,この構成は人の保健所(医師2:8他職員)に比較して大きく異なる.いずれにしても,常に伸縮自在に需給バランスを保持しながら調整することが望ましい.もし,その調整が破綻すれば日本の獣医師制度は形骸化する虞すらあることを心配する.

 

  表

 


† 連絡責任者: 池本卯典(日本獣医畜産大学)
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