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解説・報告

獣医学教育改革運動の反省と今後

唐木英明(全国大学獣医学関係代表者協議会会長)

1.は じ め に
 平成16年7月に発表された文部科学省「国立大学における獣医学教育に関する協議会」報告をもって,獣医学教育改善運動が挫折したという空気が関係者の間に漂っている.それは,平成2年の連合大学院発足後に教育改善運動が急速に失速し,その後に運動の長い空白が生れたときと似た状況である.しかし,すべての動きが加速をしている現在,運動の停滞は許されない.今こそが教育改善運動を再構築し動き出すときであり,そのためにはこれまでの運動を振り返って問題点を改善し,新たな運動方針を確立しなければならない.

2.教育改革運動の経緯
 最初にこれまでの運動の経緯を年表形式にまとめる.運動は6年制教育の実施を目指して盛り上がり,連合大学院の設置で終った第1期,そして大学基準協会の基準改定で始まり,文科省協議会報告で終った第2期,そして,その間の「沈滞の6年間」に分けられる.

(1) 改善運動第1期(1971〜1990年)
昭和46年(1971):日本学術会議「獣医学修業年限延長について」(勧告)を発表
昭和53年(1978):国家試験受験資格を修士課程修了に引上げる(獣医師法第12条の改正)
昭和55年(1980):国立大学獣医学科の改革を目標に国公立大学獣医学協議会(以下「国公立協議会」)を設置.越智試案(4,200時間の教育・14講座に増設(当時は9講座体制)・学部設置・再編)の方向で運動.文部省も再編整備を指導.しかし国立大学獣医学関係学部長懇談会から「再編反対」の要望書が文部省に提出され,教育改善は実現せず
昭和58年(1983):学校教育法一部改正,獣医学6年一貫教育実施,大学院修士課程廃止,標準修業年限4年制の博士課程を設置
昭和60年1月:国公立協議会は下記のようないわゆる「望月3原則」を採択
[1]国立大学の再編整備を行うこと
[2]再編整備は現有の教官数を基本とすること
[3]学部並み以上の規模とし,大学院を併設することが望ましいこと
 また,西ブロック(鹿児島大,宮崎大,山口大),中ブロック(鳥取大,岐阜大),東ブロック(農工大,東大,岩手大),北ブロック(北大,帯畜大)の再編を検討.
昭和61年(1986):大学基準協会は「獣医学教育に関する基準」を改訂.18講座以上,教員数72名以上を最低基準に設定
昭和62年(1987):8月 国公立協議会は以下の再編方針を了承
[1]帯畜大,北大は,受け皿校を2校以外に求めない
[2]岩手大,農工大,東大は受け皿校を3校以外に求めない
[3]岐阜大,鳥取大,山口大は,名古屋大を交えた形を目指す
[4]鹿児島大,宮崎大は受け皿校を2校以外に求める形も目指す
昭和62年11月:「鳥取大,山口大は岡山大を受け皿校として早急に再編を目指す」,「岐阜大,名古屋大を中核として早急に中部地区で再編を目指す」と修正
昭和62年11月6日:中曽根内閣退陣,竹下内閣発足.「ふるさと創生,首都一極集中不可」を政策とする
昭和63年(1988)1月25日:文部省視学委員会において小林技術教育課長(当時)は「再編は困難になった.たとえ大学が合意しても大学外の反対が強い.連合大学院設置の方向を考える」と発言
平成元年(1989)1月26日:獣医師問題議員連盟役員会において,文部省国分高等教育局長(当時)は,「再編整備が学内事情等から進んでいない現状から,今後とも地域のコンセンサスを得ながら対応してゆくこととするが,当面,緊急避難的に進めている連合大学院については,東大及び北大を除き,東日本及び西日本の各4大学がそれぞれの基幹校を決める段階に来ている」と述べる
平成2年(1990):文部省は「緊急避難的な処置」として,岐阜大学大学院連合獣医学研究科(博士課程)(帯畜大,岩手大,東京農工大が参加)及び山口大学大学院連合獣医学研究科(博士課程)(鳥取大,宮崎大,鹿児島大が参加)を設置.同時に,北大,東大,大阪府立大及び私立5大学においても新制獣医学大学院(4年制博士課程)が発足.教育時間数が延長されて基礎獣医学は教育・研究ともにある程度は充実したが,実務教育はほとんど変わらず,特に多くの国立大学においては最低限の履修必要18科目にも対応できない体制で教育が行われた.そのため臨床担当教員の負担が大きく,学生の教育に大きな支障をきたしていた.にもかかわらず6年制実施と連合大学院の発足により改善運動は急速に下火になった
(2) 沈滞の6年間
平成3年(1991)から平成8年(1996)の間:国公立協議会は全教員の研究業績を取りまとめた「学術,研究動向」を公表し,卒業生の受容調査を実施した.また,東西2つの連合大学院のそれぞれに,学年進行で,教授,助教授各11名,助手10名の定員が認められた.また各大学での教養部廃止に伴い,若干名の教員が獣医学科に配置されたところもある.このようにして,心配をされた大学院問題が解決し,教員数の多少の増加が実現したことによる達成感を得たこと,新たな大学院の運営に全力を挙げたことなどの事情で,この間,再編整備による教育改革の運動は停滞した
(3) 1997〜2004 改善運動第2期
平成9年(1997):大学基準協会は「獣医学教育に関する基準」を改訂.再度18講座以上,教員数72名以上を最低基準に設定.この年から全国大学獣医学関係代表者協議会(以下全国協議会と略称)を中心に再編整備運動が再燃.全国協議会は文科省に獣医学教育の国際基準適合の重要性を説明
平成10年(1998):日本獣医師会のアンケート調査において,獣医学卒業生に対する臨床教育と公衆衛生教育がきわめて不十分であるとの強い批判が出る.唐木「獣医学教育の危機」日本獣医師会雑誌51(3)169を発表:関係者の協力を要請.西4大学及び東4大学の獣医学関係者がそれぞれ九州大学と東北大学への再編整備を合意
平成10年9月:全国協議会長,国公立協議会長,私立協議会長,獣医師会長,獣医学会長等が「獣医学教育の充実について(要望)」を文部省高等教育局長に提出
平成11年(1999):文部省科学研究費基盤研究A「獣医学教育の抜本的改善の方向と方法に関する研究」(研究代表者 唐木英明:平成11〜12年)が始まり改善運動を盛り上げる
平成12年(2000)3月:日本学術会議獣医学研究連絡委員会が「わが国の獣医学教育の抜本的改革に関する提言」を発表
平成12年(2000)6月29日:九州大への再編を検討する第1回私的研究会が,九州大側8名と西4大学の各代表計12名で始まる
平成12年(2000)8月:全国48の国立教員養成大学・学部の再編のために「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」設置
平成12年(2000)10月6日:第48回国公立協議会において,すべての大学が再編整備に参加することを確認
平成12年(2000)10月17日:第103回全国国公立大学農学関係学部長会議は獣医学教育改善に関する基本姿勢の具体的な検討に入る
平成13年(2001)1月6日:東4大学獣医学関係者は新制大と旧帝大の枠を破り,再編先を北大と東大に変更することを確認
平成13年(2001)2月:「獣医学教育のあり方に関する有識者懇談会」(黒川 清座長)より,改善を進めるべきとする答申を受ける.全国の新聞に獣医大学再編に関する記事が掲載される
平成13年(2001)4月:小泉内閣発足,大学の法人化検討開始.全国協議会による「獣医学教育の横断的評価報告」を実施.学部長会議「獣医学教育改善に関する臨時委員会」の質問状に回答
平成13年(2001)6月:文科省は「国立大学の構造改革の方針」(いわゆる遠山プラン)発表.再編・統合により国立99大学を30程度に削減.優れた業績の大学に資金を重点的に配分.「トップ30」大学の育成を目指す.工藤局長(当時)談話「一県一大学は未来永劫の原則ではない.これからの発展を考えると金科玉条で保障されるわけではない」
平成13年(2001)10月17日:第105回全国国公立大学農学関係学部長会議「獣医学教育改善に関する臨時委員会」の基本方針を承認.「新教育研究組織の規模は,72名以上の教官から成ることが望ましいが,それがただちに実現できない場合でも,当面これに準ずる規模としては,18名の教授を含む54名程度の教官から成る組織が必要最低限であろう」と述べる.獣医学教育関係者の主張が始めて公式に認められたものであり,関係者の夢が大きく膨らんだ
平成13年(2001)10月:九州大学獣医学府設置委員会への委員選出依頼に対して宮崎大,山口大とも拒否.東6大学は,帯畜大,北大,岐阜大グループ,岩手大,東京農工大,東大グループに分かれ,それぞれ再編時の教育組織,カリキュラムについて検討を開始.宮崎大では,山口大が九州大に獣医学府設置委員会の委員を出すのであれば,宮崎大も出すとの教授会決議
平成13年(2001)10月:文部科学省科学研究費基盤研究A「獣医学教育の抜本的改善の方法及びその具体化に関する研究」(研究代表者 徳力幹彦:平成13〜14年)が始まる
平成13年(2001)11月:「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」は複数の大学・学部を統合する形態を答申.各地で反対運動が始まる.
平成14年(2002):山口大と鳥取大の2校再編凍結.九州大への宮崎大学獣医学科との2校先行案に山口大学長反対
平成14年(2002)4月:宮崎大は九州大への再編以外に道がないことを学長と確認
平成14年(2002)10月:岐阜大から東4大学学長懇談会に連合大学院の解消,再編の申し入れ
平成14年(2002)10月:山口大は新学長が獣医学部創設案提示
平成14年(2002)12月:立山,田浦両教授が文部科学大臣宛に獣医学教育充実の依頼文を提出
平成15年(2003)1月:若手教員115名が連名で全国協議会長に教育改革の抜本的改革の実現を要望
平成15年(2003)2月5日:第1回国立大学における獣医学教育に関する協議(以下文科省協議会と略称)開催,その後各大学は様子見に入り改善運動は停滞.9月の第6回以後文科省協議会は開催されず年末を迎える
平成15年(2003)3月:文部科学省の意向を受けた山形大,宮城教育大,福島大の南東北国立3大学の教員養成課程再編・統合の協議に伴い,山形大教育学部が教員養成を一旦断念したが,県内で反発の声が高まり,山形大は新学部に小学校教員養成学科を開設する案を提示,高橋和雄知事ら県側の理解を得た.山形県内の混乱で3大学間の学長協議は休止
平成15年(2003)10月:文科大臣,農水大臣,関係大学長に獣医学教育の早急な改善を求める署名運動を開始,教員だけでなく開業獣医師の賛同を得て,12月までに800名以上の署名を集める
平成16年(2004)3月18日:第7回文科省協議会が約半年ぶりに開催され,座長試案が提示される
平成16年(2004)4月6日:全国協議会長,国公立協議会長,私立協議会長,獣医師会長が河村文部科学大臣(当時)を訪問し,教育改善を求める獣医師の署名を添えて陳情
平成16年(2004)7月5日:第8回文科省協議会において座長私案を一部改定の上了承.関係各大学は,国公立大学農学系学部長会議が決議した獣医学教育の改善策の精神を基本に据え,自主的・自律的に最大限努力すること,国は附属家畜病院などの施設・設備の整備改善を図るなど支援すること,複数の大学の有機的な連携により幅広くかつ厚みのある教育機能の強化を図る大学に国が支援するなどの重要な事項が盛り込まれたが,改善の期限や数量的目標は盛り込まれなかった.関係大学は当面の措置として教員36名を目標に改善に取り掛かった.獣医学教員の改善の熱意は急速に冷めていった.
平成16年(2004)11月:Guideline(河合塾)が特集「岐路に立つ獣医学教育」において教育の実態と改善の方向を特集.蛍雪時代が特集「全国大学農水畜産・獣医学部の総合的研究」を掲載
3.改善運動の反省と今後の方針
(1) 獣医学教育改善は,その教育の不備を熟知する担当教員が30年以上にわたって粘り強く続けてきた運動であり,他に例を見ないものである.そして,このような運動を支えてきたのが教員の熱意と団結であった.文科省担当課長も,担当教員のこのような努力は貴重であり,それを無駄にしないことが文科省の務めであることを繰り返し述べている.
 われわれの目的は獣医学教育を実施することが可能な教育環境を整備することであり,そのためには最低でも国家試験関連18科目を教授でき,臨床技術を教授できる人員・施設・設備が必要である.教員数については最低72名という数が広く認められている.しかし,この数の教員を配置すれば入学定員は60〜80名が可能である.現在の国立大学の入学定員は合計約300名,教員総数は約280名.もしこれを3つに分ければ,教員数93名,入学定員90名になり,4つに分けても教員数70名,入学定員75名になる.すなわち,獣医学教育には十分な教員数が配置されているが,それを10大学に分けてしまったために十分な教育ができない体制になったのであり,国費の有効な利用という点でいえば,獣医学科の再編整備がもっとも論理的な解決である.そして,これがわれわれの運動方針であった.
(2) われわれの運動に大きな光を投げかけたのが小泉内閣の発足であった.いわゆる「遠山プラン」による大学再編と,すでに動き出していた教育系学部再編の実現は獣医学教育再編につながる動きとして強く期待された.ところが,教育系学部の再編が地方自治体と関係大学の反対で棚上げになり,大学の統合も単科医科大学と総合大学などわずかな数の大学間の「痛みがない」統合に終わった.われわれは,国立大学において実権を持つのは大学長であり,文科省ではないことを改めて感じさせられた.
 しかし,われわれは文科省によるトップダウンの改革を期待したものではない.われわれ自身が積み重ねてきた地道な改善運動についての学内合意の最後の一押しを文科省に期待をしたものであり,その点が遠山プランと大きく違うと考えていた.もちろん,振り返ってみると,6年制実施を前にして当時の文部省が協力に指導をした獣医学教育再編が関係学長の反対で頓挫した事例があるが,その後の運動の積み重ね,特に農学部長会議の獣医学教育改善基本方針の決定により,事態は当時より大きく進展し,学長の合意を得られやすいものと信じていた.
 このような背景があって,われわれは文科省協議会に強く期待をした.すなわち,農学部長会議が,再編整備を含むわれわれの主張を始めて公式に認めたのだが,その基本方針を文科省協議会がもう一歩進めて,数量的及び時間的な達成目標を設定することを期待した.われわれのこのような主張は文科省協議会の多くの委員の賛同を得ることができたが,座長の現実論の前にそれは実現しなかった.しかし,文科省協議会の報告は改革の必要性を強く主張し,再編の必要性を認めながら,一気にそれに突き進むのではなく,複数の大学の有機的な連携から始めるべきであることを述べるなど,きわめて示唆に富むものである.われわれは,文科省協議会報告を,一部でいわれているような「敗北の象徴」と捉えるのではなく,「今後の運動の指針」として捉えるべきである.連合大学院発足後に教育改善運動がその勢いを失って,6年間もの空白が生じたが,このような事態を繰り返してはいけない.
 われわれが進めてきた獣医学教育改善の方向は間違っていない.十分な教育を実施するためには72名程度の教員が必要なことは,担当教員だけでなく農学部部長会議や外部の有識者も認め,国際的にも認められている.そしてこれを達成するためには,再編整備しかないことも常識になっている.問題はこれを実現する方法と筋道である.
 その方法論については,文科省や政治家の支持は必要であるが,それだけでは改革は成就しないことはこれまでの経験から明らかである.われわれは「文科省主導の改革」あるいは「政治家頼み」の考えを捨てて,地道に学内合意を得て地域社会の合意を得る運動を強化しなくてはならない.
(3) 次に教育改善の実現の筋道であるが,第1段階は,関係大学長が暗黙のうちに合意をしている36名体制の実現である.現在20数名で教育を行っている多くの大学においては,これが大きな改善であることは否定できない.しかし,この段階で改革を終わりにしないための方策を考え,それを実施することが重要である.そのためには,第2段階にもつながる大学間の教育協力を早期に模索すべきである.
 第2段階は,54名体制への整備することである.入学定員が30〜40名の小学科においては,その実現は容易ではない.この困難をどのように解決するのかを真剣に議論をする必要があるが,その一つの方策として,大学間の有機的な教育協力を通じて再編への道を見出していく可能性を追求すべきであろう.
 第3段階は,入学定員60〜80名,教員72名以上の獣医学部の設立である.もちろん,自主努力によりこれが達成できることが最も望ましいが,客観的に見て,その実現の前提は再編整備であろう.
 このような改善の実現のための保障手段については,文科省協議会報告書に次のような記載がある.「重要なことは,教育の担い手たる大学がこれからいかに成果を拳げうる取組を実践するかということであり,また,こうした取組の成果を評価・検証していくことが必要である.今後その成果の評価・検証をふまえ,必要に応じてさらに検討が行われるべきであろう.」現在のところ,大学あるいは学部に対する公的な外部評価は実施されているが,学科に対する外部評価はない.全国協議会はこの点を補うために「横断的評価」を実施したが,今後,この方式をさらに充実させるとともに,これを公式な評価として関係者に認知させる運動を強めなくてはならない.受験産業も獣医学教育改善に注目し,特集を組んでいるが,評価の結果を公表することで教育改善に対する社会の認知を得て,学内合意につなげる努力も必要である.
 また,せっかく教員ポストを確保しても,適切な教員が見つからないといった事態が起っていると聞く.人材はすぐには育たないので,将来を見据えた計画的な人材の養成が急務であるとともに,教員ポストを満たすために他大学の教員を引き抜くような方法ではなく,新たな人材を見つけるための最大限の努力を払うことを願う.
(4) 教育改革にはすべての教員が参加し,努力をした.そして,一定の進歩があったものと考えている.しかし,全国代表者協議会会長として遺憾に思うのは,宮崎大と山口大の教員が大変な努力を払って勝ち取った,再編に向けての学内の合意を生かすことができなかったことであり,そのために両大学の教員には大きな挫折感を与えたことである.そして,今後,各大学が学内の合意を得る過程にその経験を生かしてゆくことが,両大学の教員の努力に報いる道であると信じている.
 われわれのこれまでの長年の努力をここで終わらせるわけにはいかない.もう一度,希望を取り戻して,2005年を獣医学教育改善の第3期の始まりとすることを,関係の全教員に強く訴えるとともに,日本獣医師会及び全国の獣医師仲間にも教育改善運動へのこれまで通りの全面的な支援をお願いしたい.


† 連絡責任者: 唐木英明
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