解説・報告(最近の動物医療)

アメリカにおける獣医心臓外科の現況と開心術の諸課題

金本 勇(名古屋獣医師会会員,茶屋ヶ坂動物病院院長)

 今回(10月4日〜10日),アメリカ・コロラド州デンバーで開催されたアメリカ獣医外科学会(American College of Veterinary Surgeon:ACVS)へ発表のため,出席した.その際,アメリカの獣医心臓外科を行っている各大学の代表が集まり討議が行われ,アメリカの心臓外科の現況及びレベルを伺うことができたので報告したい.
 討論の座長は「Small Animal Surgery」(Mosby)の著者であるテキサス A & M大学のDr. Fossum教授であり,現在最も精力的に心臓外科をおこなっている女性の心臓外科医であった.先生は,犬の臨床例もチャレンジしているが,羊,実験犬を使ったリサーチを中心とされている.

ACVS発表後
(右からDr. Orton,筆者,Dr. Nellson,加藤 元の各先生)

 参加者を紹介すると,3年前に大学訪問した際,Fossum教授に抜擢され,大学へ招聘されていた日本語を話せる準教授のDr. Nellson先生(小学校低学年まで日本の広島で育っているため大変な親日家).彼は獣医師でありながら人工心肺を操作する資格(パーフュージョニスト)を持っており,多くの開心術を手伝う等,実践経験の豊富な先生である.そして,現在臨床例を実際に最も多くおこなっているコロラド州立大学(CSU)のDr. Orton教授.Dr. Orton教授は「小動物の胸部外科」(LLLセミナー)の著者であり,準教授のDr. Monnet先生とともにおもに先天性心疾患で実績を持っている.また,1970年代にアメリカで多くの先天性心疾患の根治手術に最初に成功した実績を持っているミシガン州立大学(MSU)のDr. Eyster.今年7月に大学へ訪問した際には心拍動下でおこなえる動脈管開存症(PDA),肺動脈狭窄症(PS)を中心に取組んでおり,心停止下での開心術は中止しているが,今回は羊を使っての実験的な開心術を再開したと伺った.さらに,以前には盛んに開心術をおこなっていたカルフォルニア大学デイビス校(UC, Davis)のDr. Breznock教授は今回欠席されたが,現在臨床例の開心術をあまり行っていないようである.(ちなみにRoyal Veterinary CollegeのDr. Brockman準教授の今回の発表によれば,現在イギリスでも開心術はほとんどおこなわれていないとのことであった.)
今回の討論の内容からも,アメリカで開心術が低迷している現況は,社会的な訴訟問題と努力の大きさの割に評価が報われないことが原因であると推察された.この状況を打破するためには,手術の成功率を上げてオーナー及び社会のコンセンサスを得るしかないと思われる.
 開心術を成功させるためには,1)麻酔,2)体外循環,3)手術,4)術後管理の問題をすべてクリアーする高度の獣医療技術をマスターしなければならなく,本稿ですべてを述べることは難しいためにその一端を記す.
 アメリカでは大型犬種が大半であるため,開心術も人の若年期(体重20〜30kg以上)に相当する開心術が多いのが特徴である.一方,日本では10kg以下の小型犬,特に3kg以下の極小犬が多く,人の新生児に相当する開心術に近いのが特徴である.このことは,開心術の難易度に関係する.すなわち,大きな体重の犬であれば,人工心肺(CPB)回路で血液希釈が少なく,ポンプ流量も高流量で回すことが容易である.他方,低体重の犬では犬の体内の血液量に対してCPB回路が相対的に大きいため血液希釈が高度となり,脱血管及び送血管の太さも血管が細いため制限を受ける.そのため,ポンプ流量も高流量で回すことが難しくなる.それを補うために低体温麻酔法と併用する方法を著者は実施している.すなわち,体温が10℃下がれば全身の酸素消費量は約50%減少し,20℃では37℃時の約20%に低下するため,低体温にしてやればポンプ流量が少なくても組織傷害は少ないからである.体重5kg以下の小型犬であれば体表に氷嚢をおいて表面冷却を,それ以上であれば熱交換器による血液冷却を併用して食道温20℃前後まで冷却し,ポンプ流量を常温下(100ml/kg/min)の1/3〜1/4に下げておこなっている.アメリカでも28℃前後まで下げた低体温併用法を実施しているようである.また,低体重になるほど心臓が小さく,組織が脆いため,手術が難しくなる.
 心臓手術には心拍動下で手術する方法と心停止下で開心する方法(開心術)がある.当然開心術の手術難易度が高いことはいうまでもない.また,心臓手術の対象となる心疾患には,先天性心疾患と後天性心疾患がある.先天性のものには,心拍動下で手術できる動脈管開存症(PDA),肺動脈狭窄症(PS)と心停止下の開心術による大動脈狭窄症(AS),心室中隔欠損症(VSD),心房中隔欠損症(ASD),心内膜床欠損症(ECD),ファロー四徴症(TOF)などがある.ASはゴールデンレトリバーなどの大型犬に多く,CSUのDr. Ortonらは開心術による人工弁置換術に多数成功している.VSD,ASD,ECD,TOFなどもそれぞれ数はまだ多くないが,各大学で成功している.しかし,うっ血性心不全の3/4を占めるほど多い後天性心疾患の僧帽弁閉鎖不全症(MR)は手術成功例が少なく,それもほとんどが人工弁置換術によるものである.心筋予備能力の多い若齢の先天性心疾患に比較して後天性心疾患では長年にわたって心筋が悪化しおり,心筋の予備力が少ないため手術成功率が低いのが現況である.
 MRの手術法には僧帽弁置換術(MVR)と僧帽弁形成術(MVP)がある.MVRは人工弁を必要とするためそれによる費用(約100万円),血栓を予防するため生涯にわたる抗凝固療法(ワーファリン),感染症予防の注意,などを必要とする.他方,MVPは自己弁を修復するやり方であるためそれらを必要としないが,手術に経験を必要とし,また再発の可能性もある.現在人のMRでは,QOLを維持するためにまずMVPを第一選択法とし,MVRは最後の手段として取っておくのが一般的になっている.動物では自己管理ができないため人よりもさらにMVPを選ぶべきであると考え,筆者はこの方法を主としておこなっている.今回のACVSでの発表はこのMVPを「小型犬の重度MRの5例で成功した報告」をおこなったものである.アメリカが苦手とする「小型犬でのMVP法」が良く評価された理由がここにあると考えられた.
 今回,獣医学先進国のアメリカに少しでも日本の獣医学の一端を評価していただけたことを筆者自身とても喜んでいる.従来,日本でも「小型犬のMRの心臓手術は不可能」と諦められていたが,筆者のライフワークである「小型犬の開心術及びMRの外科療法の可能性」を今回紹介し,今までなすすべもなく死んでいった多くのMR犬に一筋の光を当てたいと願っている.また若い臨床家が心臓外科手術にチャレンジし,後に続いてくれることを期待している.

 終わるにあたり,今回のACVS発表に際してQ & Aでお手伝いいただいたミシガン州立大学準教授Dr. 林 慶先生(ACVS外科専門医)に深謝する.


† 連絡責任者: 金本 勇(茶屋ヶ坂動物病院)
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