総 説

エキノコックス症の危機管理へ向けて
--現 状 と 対 策--

神谷正男(酪農学園大学環境システム学部客員教授)


 1.は じ め に
 エキノコックスは人体内でその幼虫が無性的に肝臓などで増殖し,放置すれば90%以上が死亡する深刻な病気をもたらす動物由来の寄生虫である.北海道では2004年上半期だけで20名の患者が報告され,そのうち12名が都市部,札幌から報告されている.感染した飼い犬が本州へ移送された例も明らかになってきた.2004年3月「ムツゴロウ動物王国」の東京都へ移転する際,動物とともにエキノコックスが本州へ伝播することを危惧した自治体(あきる野市)の呼びかけで対策委員会(委員長 吉川泰弘東大教授)が設置され(3月15日),東京都獣医師会や環境動物フォーラム(CFEA)等の専門家が協力して,検疫などリスク・コミュニケーションが住民参加のもとに実施された.世界に類を見ない厳しい条件を克服して動物の移送がこのほど完了した.
 感染症法が2003年11月に改正され,これまで,人のエキノコックス症診断がされた場合,届出が義務づけられていたが,感染源についての規定はなかった.今回の改正で,2004年10月,世界に先駆けて獣医師の責務を明確にした動物由来感染症対策「エキノコックス症:犬の届け出」他の規定が施行されることとなった.
 わが国ではBSE,SARS,鳥インフルエンザ,西ナイル熱など,世界的に知られる感染症の対策が重点的に取り上げられてきたが,これらで犠牲者は未だ一人もでていない.一方,エキノコックス症は国内にすでに流行があり,多数の犠牲者がでていて,患者の増加傾向が続いている.これまで,この感染源対策が,かならずしも十分であったとは言えない.今後は法的裏付けを得て流行拡大防止,その縮小,根絶など危機管理へ向けた取り組みが可能となる.
 2.病  原  体
 寄生虫:エキノコックスの学名にはEchino(=棘のある)coccus(=球状のもの)に由来する.幼虫形(包虫)がそのまま採用されている.紀元前4世紀頃,ヒポクラテスの時代から人体に重篤な病害(嚢腫)をもたらすことで知られていたが,その生活環が明らかにされるには19世紀中頃まで待たなければならなかった.実験的に包虫を犬に食べさせて成虫を得て,動物由来の条虫であることが明らかになった.その後,病因の一元説(1種)が唱えられていたが,20世紀の中頃,北大,ワシントン大学などの専門家により4種に分類され,現在にいたっている.わが国での最初の人体例(単包条虫による単包虫症)は19世紀末に紹介されているが,20世紀中頃から多包条虫による人体例(多包虫症)が,北米アラスカ,ヨーロッパ中央部や北海道など,世界的な流行が問題になってきた.
 エキノコックス属4種のうち,単包条虫Echinococcus granulosusと多包条虫E. multilocularisが公衆衛生上,最も重要であるが,中南米に分布する他の2種も,人獣共通寄生虫である.現在,日本,特に北海道で問題となっているエキノコックスは多包条虫で,おもに野ネズミを中間宿主として野生動物間で流行し,北半球に広く分布している.
 一方,単包条虫の中間宿主はおもに有蹄家畜であり,分布は全世界的である.畜産の盛んな国で問題となっており,患者は約250万人以上と推定される.わが国では,食肉検査所において輸入牛からまれに検出されたり,人体の輸入症例が散発的に報告されている程度で,多包条虫ほど問題とはなっていない.
 3.エキノコックスの一生(生活環)
 エキノコックスを含むテニア科条虫は,被食者(中間宿主)―捕食者(終宿主)間で伝播している(図1).
 多包条虫と単包条虫の終宿主は野生のイヌ科動物,おもにアカギツネや犬である.その小腸管腔に成虫が寄生して虫卵を産生し,虫卵は糞便とともに排泄される.多包条虫の中間宿主はおもにヤチネズミ類で,虫卵を食べて感染し,内臓に幼虫が寄生し原頭節を産生する.偶発的に人や豚なども虫卵を経口摂取して感染する.単包条虫の中間宿主は羊,山羊,牛,豚,馬,ラクダなどである.
 多包条虫の生活環のサイクルの最短期間は幼虫(1〜2カ月)→成虫(1カ月)→虫卵で,3カ月以内であるが,単包条虫では有蹄家畜体内での幼虫が原頭節を形成するまでに,1〜2年要する.


図1 エキノコックスの生活環

(1) 中間宿主(ネズミ)における幼虫の発育:原頭節産生
 中間宿主体内で幼虫は無性生殖し,多包条虫の幼虫は微細な嚢胞の集塊になり,「多包虫」と呼ばれている.中間宿主の野ネズミや人の内臓,特に肝臓に寄生する.
 中間宿主は虫卵を経口的に摂取したときに感染する.虫卵は小腸で孵化し,六鉤幼虫となり,腸粘膜から侵入し,肝臓に移動する.肝臓では嚢胞状となり,この嚢胞から小さな嚢胞が外出芽によって無性増殖し,微細嚢胞の集塊が周辺の宿主組織に広がる.ヤチネズミ類などのような好適な中間宿主においては嚢胞内に繁殖胞が形成され,感染後1〜2カ月でその中に多数の原頭節が産生される.末期ではしばしば他の腹腔臓器,肺及び脳まで微細嚢胞が転移する.エゾヤチネズミでは多いものでは数百万個以上の原頭節ができる.幼虫組織がネズミの腹腔臓器ほかを置き換えるほどの増殖をする.一方,豚や馬で検出された多包虫の発育は悪く,原頭節は形成されない.終宿主への伝播には原頭節が必要であるので,これらの家畜から犬へは伝播しないと考えられる.
 一方,単包条虫の幼虫の典型的なものは単純な嚢胞(単包虫)で,内部にほぼ透明な液を満たし,大きいものでは数キロになる.嚢胞の内面に原頭節を含む繁殖胞が付着している.
(2) 終宿主(犬やキツネ)における成虫の発育:虫卵産生
 犬やキツネは多包条虫の終宿主であり,原頭節を保有する野ネズミ(中間宿主)を捕食して感染する.
 感染後原頭節は小腸粘膜に頭節で固着し,片節を形成し,成熟すると体長2〜4mmの小形の条虫となる.
 多数の小さな鉤と4つの吸盤のある頭節が前端にあり,腸粘膜への固着に関与し,原頭節が発育したものである.頭節に続き細い頸部があり,その後に3〜5の片節がつながっている.後端の受胎片節には約200個の虫卵産生がみられる.この最終片節が離脱して,虫卵が終宿主から糞便とともに外界へ排泄される.頸部では次々と新たな片節が産生され,未熟片節,成熟片節を経て,受胎片節となる(図2).
 犬やキツネでは感染後1カ月(早い例では26日)ほどで虫卵が糞便とともに排泄されはじめる.実験感染では,大部分の虫体は2〜4カ月で排除され,その後一部の虫体のみが長期間寄生することが示唆されている.再感染は容易に起こる.
 単包条虫については,中間宿主の羊,牛,豚,馬などの肺や肝臓に幼虫(単包虫)が寄生し,犬が感染臓器を食べることにより感染する.
(3) 宿主体外における虫卵
 虫卵の直径は30〜35μmで,キツネや犬の糞便とともに外界へ排泄される.中には6つの小さな鉤を持った六鉤幼虫が入っており,幼虫被殻(卵殻ではない)により覆われ,紫外線の傷害作用や化学薬剤の影響から防御されている.
 虫卵は加熱,乾燥に弱く,直射日光の下でも生存期間は短い.しかし,湿潤状態において20℃では約25日,10℃では約90日間,4℃では128〜256日生存することが示されている.最も長い生存期間の記録は,室温でキツネの糞中の虫卵が730日も生存したという例もある.したがって,一部の虫卵は,長期間生存するものと考えられる.南ドイツの環境での虫卵の最長生存期間は,秋から冬の条件では8カ月,夏の条件では3カ月と推測されている.

図2 エキノコックスの成虫(染色標本)
 4.流 行 状 況
(1) 世界における流行状況
 多包条虫は北半球に広く分布し,世界中で約30万人の患者が推定されている.患者発生率は地域により異なるが,多くは,住民10万人当たり年間罹患率は0.1から10で,ヨーロッパの流行地では1以下が多い.
 世界的にアカギツネ(キタキツネはこれに含まれる)が最も終宿主として重要であるが,ホッキョクギツネ(ツンドラ地帯),コヨーテ(アメリカ合衆国),コサックギツネ,オオカミ(旧ソ連,中国)及び犬も終宿主となる.
 諸外国では犬の調査は小規模なものであるが,キツネの感染率が40%以上の地域でも犬の感染率は5%以下,多くの場合1%以下である.しかし,セントローレンス島のように犬と野ネズミが同居している地域では,犬でも10%以上の感染率を示す.感染キツネの発見や感染率の推移から,欧米においても本種の分布拡大が問題となっている.
 多包条虫の流行地域内には小哺乳動物が多種生息することが多いが,中間宿主となる種は限られている.自然界の多包虫感染は,主に8科の哺乳動物から報告されている.すなわち,Arvicolidae(ハタネズミとレミング),Muridae(ラットとマウス),Dipodidae(トビネズミ),Cricetidae(シカネズミとスナネズミ),Sciuridae(リス),Ochotonida(ナキウサギ),Soricidae(トガリネズミ)及びTalpidae(モグラ)である.さらに,人,豚,イノシシ,馬,各種霊長類(動物園)にも感染することが知られている.
(2) 日本における流行状況
 現在,国内ではおもに北海道において問題となっているが,日本で初めて多包虫症が報告されたのは仙台である.特に,東北地方では既知の多包条虫流行地に居住したことのない人体症例も知られており(原発例),青森県の患者21例中9例はそのような症例である.青森県で1999年に,同じ農家で異なる時期に3頭の豚から多包条虫が検出されたことから,青森県内で感染した可能性が高いことが示唆されたが,その後の野生動物の調査では感染個体は発見されていない.
 北海道内において,多包条虫は1935年〜1960年代まで礼文島に,さらに1966〜1980年までは北海道東部に限局していると考えられていたが,1980年代に流行地拡大が認識され,1990年代後半には北海道全域に蔓延していることが明らかとなった.
 多数の飼い犬が北海道から道外へ搬出されており,観光で一時的に北海道に滞在する犬も考慮すると,道外へ多包条虫感染犬が移動し,流行地が拡大する可能性がある.
[1] 人における流行状況
  本州でもすでに約80名の人の多包虫症例が報告されている.人は移動・転居し,かつ,発症するまで10年内外を要し,感染経路や感染した地域の特定は困難なことが多い.しかし,本州で診断された症例のほとんどは,北海道もしくは海外の多包条虫流行地に居住した経験がある患者である.
  北海道では1937年に礼文島出身者から発見されて以来,2003度までに435例の患者がおもに病理組織で確認されている.これには血清検査陽性例は含まれない(2003年度受診者数49976,陽性者数73).毎年平均20名前後のおもに手術で確認される新たな患者が発生している.北海道の年間罹患率は10万人当たり0.35と算出されるが,2004年上半期で20名の届出から推定すると0.7となり急激な罹患率の上昇がみられる.
  かつては,患者の居住地域はほぼ北海道東部に限定されていたが,近年ではその他の地域の患者の比率が増加している.さらに,患者は農村部だけでなく都市部からも見つかり,北海道全域に感染リスクが高まっていることが示唆され,今後の患者数の増加が危惧される.
[2] 終宿主における流行状況
  キツネ:多包条虫の伝播においてもっとも重要な終宿主である.感染率も高い.したがつて,流行状況を調べるためにはキツネの調査を行う必要がある.北海道庁によるキツネの剖検調査(1966〜2006年度)の集計すると平均感染率18.7%であるが,近年において感染率上昇は著しく,1993年〜1997年度では40%近くに,1998年度には57.4%に急増し,その後40%程度になっている.2003年度の札幌市内の感染率は64%であった.
  養狐業者などのキツネが北海道外へ移動することがある.飼育時に野ネズミの侵入防止等十分に注意し,感染防止に努め,北海道外へ移動する場合は検査・駆虫が必要である.
  犬:北海道で登録されている飼い犬の数は約23万頭(平成10年度)で,1966〜2002年度までの北海道(行政)の捕獲(収容)犬の剖検調査の集計では,平均感染率は1%(99/9881)で,この調査だけでも99例陽性例が知られている(資料:北海道における動物の発生状況).この検査対象には多くの飼い犬が含まれている.キツネの感染率が上昇した最近10年間の犬の検査頭数は毎年10から20頭と少なく,犬の感染状況を推察するためのデータが不足している.
  近年,動物病院に来院した飼い犬の生前検査において,農家の放し飼いの犬から,また,札幌市街地の室内犬(散歩には連れ出す)までさまざまな飼育状況の感染犬が見つかっている.
  猫:北海道において1960〜1991年の剖検調査で5.5%(5/91)の陽性率であるが(資料:北海道における動物の発生状況),発育は悪く,片節内に成熟虫卵は産生されていしなかった.猫についてはヨーロッパの調査でも犬より高い感染率が報告されている.人と猫との接触頻度を考慮すると,重要な多包条虫感染源となりうるので,今後さらに調査・研究が必要である.北海道の都市周辺部や農村部において,しばしば野ネズミを捕獲してくる猫については検査もしくは駆虫薬を投与することが望ましい.
  その他の野生動物:タヌキは終宿主としての感受性はキツネより低いが,ネコより高い.個体により虫卵を排泄することがある.
[3] 中間宿主における流行状況
  齧歯類及び食虫類:北海道では,エゾヤチネズミ,ミカドネズミ(ヒメヤチネズミ),ムクゲネズミ,ヒメネズミ,ドブネズミ,ハツカネズミ,さらに食虫類のトガリネズミ,オオアシトガリネズミから多包虫が検出されている.これらの中でも中間宿主として最も重要と考えられる動物はエゾヤチネズミで,生息個体数が多く,多包虫感受性が高く,さらにキツネによってしばしば捕食される.本州ではエゾヤチネズミは生息しないが,ハタネズミ類やヒメネズミが多包条虫の中間宿主となる可能性がある.アカネズミも個体数の多い野ネズミであるが,このネズミには実験的にも多包虫には感染しない.北海道では2例のドブネズミ感染例が見つかっている.一方,実験用のマウス(ハツカネズミ)には容易に感染が成立する系統があるが,一般的に抵抗性と考えられるし,住家性であるためキツネの糞便を介した感染の機会は少ないと考えられる.
  北海道における野ネズミ類(エゾヤチネズミ以外のネズミも含む)の剖検調査(1966〜2002年度合計)では感染率は1.4%(909/66,052)である.エゾヤチネズミは,谷地,防風林などの人工林(通常笹におおわれている)に多く生息し,林のない都市の中心部ではエゾヤチネズミは生息していない.生息個体数は極端に季節変動と年次変動がある.越年したエゾヤチネズミの春の個体数は最も少ないが,多包虫感染率が高く,原頭節数も多い.一方,夏期にはエゾヤチネズミが繁殖し個体数が急増するが感染率は低くなり,感染していても感染初期で原頭節は形成されていないか少ない.エゾヤチネズミの感染率は地域によってもさまざまで,同じ地域内でもキツネの巣穴周辺などに感染ネズミが多い.野ネズミは中間宿主として重要であるが,感染率は一般に低く,感染個体を発見するためには多数のネズミの捕獲を必要とし,さらに地域内において感染ネズミが局在することがあるので,流行状況の監視のためには野ネズミは適さない.
  有蹄家畜(豚及び馬):北海道では1984年にはじめて豚から多包虫が検出され,その後新たな流行地の特定に豚の検査成績が利用されてきた.豚では感染しても原頭節が形成されないため(おおむね6カ月以内に出荷),この寄生虫の伝播には関与しない.豚はすべて検査されるので,全国のエキノコックスの流行状況の指標として適している.本州への侵入及び分布域拡大のモニター法としては,豚の検査が有効である.豚の肝臓の白色結節病変は1〜20mm(平均5mm)であまり大きくならず,原頭節も産生されない.
  1995年度の北海道内の食肉検査所の検査結果では,豚の感染率は0.25%(2,587/約103万頭),馬では0.05%(1/1,900)であった.1995年をピークに感染豚頭数はその後減少している(2002年,0.07%).この減少はキツネのエキノコックス感染状況の推移とは相関しておらず,施設の充実していない養豚農家の減少と関係がある.
  動物園動物(霊長類):1990年以降に北海道の動物園において,ゴリラ,オランウータン,ワオキツネザル,ニホンザルの死亡例が発生している.感染経路として,キツネの園内への侵入と虫卵汚染飼料の園外からの持ち込みが考えられ,フェンスの改良などで園内へのキツネの侵入を防ぎ,虫卵汚染のできるだけ少ない飼料を準備する.感染が疑われる動物については血清診断が利用できる.