解説・報告

九州地区獣医師会連合会ヤマネコ保護協議会

杉谷篤志(福岡県獣医師会副会長)

 咋年からSARSや高病原性鳥インフルエンザなど野生動物由来と考えられる新しい家畜伝染病の人への感染が伝えられ,後者は日本においても3箇所の養鶏場で発生し畜産経済や食の安全に対し多大なる被害をこうむった,わが国では幸い人への感染は免れることができた.
 自然界における人と野生動物の関係は考えもおよばない新たな問題を生み出し,そしてそれはお互いのためによい関係とは言えない.この問題は人がその社会生活のために環境破壊を続け,その結果生み出されたもので,自然環境の悪化に対し地球規模で論議されて久しい.われわれ獣医師会という職業集団もその世界の潮流の中で担う役割は当然のことながら大きい.
 1996年10月27日「ヒトと動物の関係学会」の福岡における公開シンポジウム「野生動物と地域社会」というテーマで「ツシマヤマネコの現状について」対馬で長年保護活動をされている山村辰美氏,「シミュレーション:2001年のツシマヤマネコ」と題しナチュラリストの柚木 修氏がそれぞれ講演され,全国から400名以上の参加がありヤマネコの保護に対する関心の高さとその現状の厳しさが報告された.
 1994年「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存法」に基づきわが国では長崎県の対馬にのみ生息するツシマヤマネコが第1号に指定された.生息数が推定80頭未満と絶滅が危惧されている状況の下,人工増殖を計画し捕獲作戦を開始した.1996年7月衰弱した若いメスが第1号として保護されその年の暮れ第2号としてオス猫が捕獲された.しかしこの個体がイエネコ由来の「猫免疫不全ウイルス感染症」に感染していることが判明した.(この個体は繁殖に適さないという理由で対馬の環境省野生生物保護センターにおいて飼育され2002年秋死亡した)
 九州にはもう1種イリオモテヤマネコが沖縄県の竹富町西表島に生息している.こちらも100頭前後と報告されており絶滅危惧種第2号に指定されている.野生動物が絶滅の道をたどる原因はいろいろなことが考えられるが,主なる原因は人間社会との関係による生息環境の悪化である.しかしその生物種の中に致死的な感染性が蔓延すれば絶滅がさらに加速することは容易に想像される.その後捕獲保護されたツシマヤマネコには3頭に「猫免疫不全ウイルス感染症」の感染が判明している.イリオモテヤマネコには同様な感染症は見つかっていない.しかし西表島のイエネコ(カイネコ)には感染している個体が何頭も見つかっている.
 ここで問題となるのは両島に於けるネコの飼い方とノラネコ,ノネコの存在である.対馬の人口約4万2千人,西表島2千人,2つの島に動物病院はない.したがって住民はカイネコの避妊手術などの繁殖制限をすることが難しくそのことがノラネコ,ノネコの増加につながっている.ツシマヤマネコ,イリオモテヤマネコともに山奥深く生活しているのではなく標高200メートル以下の人家に近い広葉樹樹林帯や田畑,湿地帯にその生活圏がありノネズミや昆虫,野鳥を捕食している,その折にカイネコ,ノラネコなどとの闘争による病気の感染そして繁殖時期にヤマネコの群れの中での蔓延が恐れられる.

 

九州地区獣医師会連合会(九獣連)ヤマネコ保護協議会の設立
 2000年4月7日九州地区獣医師会連合会(九州8県と北九州市の社団法人9団体)の会長会議において九獣連ヤマネコ保護協議会を発足させ次の事業を行うことを決定した.
1. カイネコ,ノラネコの避妊去勢手術を行う
2. ネコの伝染病の抗原抗体調査を行う
3. ネコの伝染病のワクチンを接種する
4. 腸内寄生虫検査と駆除を行う
5. 上の4項目を行ったうえでマイクロチップを挿入する
  この診療活動を行うために対馬と西表の2つの島に診療所を開設する
 この事業の推進方法として次の事項を確認した
1. 九州地区獣医師会連合会(九獣連9団体)として取り組む
2. 事務局を福岡県獣医師会に置く
3. ツシマヤマネコ担当を長崎県,佐賀県,北九州市,大分県,福岡県各獣医師会とする.イリオモテヤマネコ担当を沖縄県,熊本県,宮崎県,鹿児島県,福岡県各獣医師会とする.
4. 1獣医師会あたり負担金10万円を拠出する
  以上提案がなされ6月2日九獣連会長,事務局長会議において次の項目についても追加決定された.
1. 趣意書作成
2. 実施要領作成
3. 3カ年計画の概要
4. 平成12年度事業計画案
5. 平成12年度収支予算案
6. ヤマネコ保護活動支援事業協賛申込書の作成,日本獣医師会,日本動物保護管理協会への協賛依頼,九州各自治体への後援依頼
 
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平成12年6月2日
九獣連ヤマネコ保護協議会会長 蔵内勇夫
趣   意   書

 九州最北端の島長崎県対馬,そして沖縄本島から遠く南西に浮かぶ西表島にそれぞれツシマヤマネコとイリオモテヤマネコが生息しています.
 これらのヤマネコは,太古に大陸と日本列島が地続きであった事を証明する貴重な動物なのです.しかしながら,現在種の保存を維持するには厳しい100頭を割る,まさに絶滅の危機の瀕しています.国県はもとより島民挙げて保護活動に取り組んでおられますが,並々ならぬご尽力にもかかわらず生息数は減少傾向にあります.
 その原因は一言でいえば,生息環境の変化により常食とされる野鼠などの激減と餌を求めて村落近くまでの移動によるイエネコ等からの危険な感染症との遭遇であります.
 われわれ九州地区獣医師連合会(九州各県/市獣医師会9団体,会員4000名)はこの4月,沖縄県で会合し,後段の原因排除に獣医学的手法を導入してヤマネコの保護活動を支援してゆくことになりました.すなわちヤマネコ保護活動支援事業です.
 支援事業は,2つの対策を柱に推進してまいりたいと考えています.
1. 各島内のイエネコ・ノラネコの去勢及び避妊手術ならびに感染症の予防注射・駆虫等
2. ヤマネコ保護活動の支援
福岡市動物園では保護増殖事業として飼育観察中のツシマヤマネコの繁殖に成功され,前途に明るい希望も見えています.
  われわれは,関係機関や両島島民との連帯を図りながらこの支援事業を成功に導きたいと念じています.ここに多くの方々からのご支援ご協力をいただきますようお願い申し上げます.
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ヤマネコ保護活動支援事業3カ年計画の概要

第1年次(平成12年度)
 1.ヤマネコ保護活動の現状把握
 2.関係機関・団体等の連絡調査
 3.啓発活動の方法
第2年次(平成13年度)
 1.獣医療提供資材の調達
 2.獣医療提供
第3年次(平成14年度)
 1.獣医療提供
 2.保護活動費の支援
 平成12年7月19日環境庁と接触し環境庁九州事務所,長崎県民生活環境部自然保護課長,対馬野生生物保護センター等の関係者を一同に集め,九獣連ヤマネコ保護協議会の趣意を説明した.
 同年10月16日第49回九州地区獣医師大会の特別講演を市民公開とし,演題「希少動物たちと私たち,種の保存と獣医師の使命」―特にツシマヤマネコとイリオモテヤマネコについて―という副題で基調講演を柚木 修氏その後漫画家で自然保護活動家の岩本久則氏,長崎県自然保護課長上杉哲郎氏,九獣連ヤマネコ保護協議会会長蔵内勇夫氏の3人のパネラーを交えて野生生物の保護活動について討論していただいた.会場のホテルの大広間は大盛況で一般市民の関心の高さを感じた.
 同年4月18日保護増殖目的のため福岡市動物園で飼育されていたツシマヤマネコが飼育下に於いて誕生するという本邦初の快挙はこの事業開始にあたり勇気づけてくれた.
 翌平成13年2月17日,本格的な活動に入る前に予め両島で保護活動に携わってきた「ツシマヤマネコを守る会」・西表島“マーヤ小探偵団”・環境省九州地区自然保護事務所・(財)自然環境研究センター・沖縄県,長崎県自然保護担当官や関係各位総勢25名参加し会議を開催,今後のヤマネコ保護協議会の活動内容を提示し地元ボランティアの意見,環境省の意向を聞きお互いの理解を深め合った.
 平成13年7月21日沖縄県八重山郡竹富町西表島の離島振興総合センターの一室を借り受け「西表動物診療所」を続けて7月25日長崎県上県郡上県町佐須名のNOSAI上県出張所内に「対馬動物診療所」(図1)をそれぞれ開所した.
 診療所の設備はガス麻酔器,オートクレーブ,自動輸液装置,手術台2基,無影燈,顕微鏡,薬品器具棚,器具台その他小手術ができるような手術器具,薬品類を2カ所に設けた.開所式には関係者として町長,町会議員,ボランティア活動家,環境省,地元報道関係者を招待し,手術等のデモンストレーションを行った.(図2)
 平成12年西表島がある竹富町では東京都小笠原町に続く本邦では2番目となる「ネコ飼養条例」が制定され,適正な猫の飼育を島民に呼びかけイリオモテヤマネコの生息環境を浄化しようという試みが行われている.
 九獣連の会員約4000名の獣医師が会員一人あたり1000円を拠出し各県より毎月2日間3〜4名の会員が両島に渡り診療活動を行い,絶滅に瀕している希少動物の保護のためにボランティア活動を行っている.種の滅亡を人の情熱と英知により何としてでも避けたいものである.
対馬動物診療所開所式における九獣連各会長
図1 対馬動物診療所開所式における九獣連各会長
 
対馬動物診療所の診療風景
図2 対馬動物診療所の診療風景
 
◎ツシマヤマネコ(Felis bengalensis euptilura)
特徴: 体重3〜5kg,体長50〜60cm,尾長20〜23cm,サイズはイエネコと大差ないが外観上の特徴は明るい茶褐色,斑点模様,額の両端に白い縦線,尾が太く耳端は丸く特に耳甲の白い斑紋「虎耳状斑」がイエネコと異なる最大の特徴である.(図3)
系統: アジア大陸のベンガルヤマネコやイリオモテヤマネコにきわめて近縁であると考えられている.
生態: いまだ把握されていないことが多く,交尾期は2月〜3月,分娩期は4月〜6月頃ではないかと推定されている.食物はおもにネズミ類(アカネズミ・ヒメネズミ)や小型鳥類・昆虫類という調査結果(武庫川女子大学)が出ている.生息地はおもにそれらの獲物が捕食しやすい広葉樹自然林や農地周辺と考えられる.
病気: 腸内より数種の寄生虫が確認されており,特にネコ特有のウイルス感染生FIVの抗体が,捕獲されたネコより3頭(平成15年現在)確認されている.
1908年本邦で初めてその存在が報告され1971年国の天然記念物に指定され,1993年4月に施行された「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存法」に基づき希少種の指定第1号となった.
本邦初,人口飼育下のツシマヤマネコの子猫
図3 本邦初,人口飼育下のツシマヤマネコの子猫
◎イリオモテヤマネコ(Felis iriomotensis)
特徴: 体重4kg前後,体長50〜60cm,尾長25cm前後イエネコと大差ないが外観上の特徴は四肢短く尾が太く背中は黒褐色,体の側面は灰褐色で暗色の小さな斑模様が見られツシマヤマネコ同様耳端は丸く,耳甲に白い「虎耳状斑」が見られる.
系統: 20万年ほど前にアジア大陸のベンガルヤマネコから分岐したものと推定され,この頃に西表島は大陸より切り離され遺伝的に固定化され,独自の進化を遂げてきたものと考えられる.
生態: ツシマヤマネコ同様いまだ完全に把握されていないが2〜4月が発情期で4〜6月頃出産するものと思われる.食物はネズミ,カエル,キシノウエトカゲ,クイナ等の鳥類,泳ぐことも得意で水中のテナガエビや樹上のオオコウモリ等幅広い食性を有し,標高200m以下や海岸のマングローブ等の湿地帯や人里近いところに生息している.本邦では1965年に発見され1977年国の特別天然記念物に指定1994年「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律」により希少動物の第2号に指定され現在その生息は100頭前後と推定されている.
病気: 現在のところネコ特有のウイルス感染症に感染した例は確認されていないが,島のイエネコには罹患しているネコも見つかっており,今後の対応が重要である.
 これからの問題として対馬・西表に於いてもノラネコ対策が課題である.対馬・西表ではその頭数の把握は容易ではなく,また捕獲することも難しく,この事業を息長く続け島民にとって島の宝ともいえるこの希少動物への関心をさらに高め適正なカイネコの飼育を根付かせなければならない.
九獣連ヤマネコ保護協議会の事業は平成15年の九獣連会長会議に於いて16年度よりさらに3年間継続することが決定された.過去3年間の実績は表記したが,この数字がどれほど所期の目的のために効果が上がっているかは定かではないがさらなる継続した事業が必要であり,このように獣医師団体が野生動物問題,自然環境問題に取り組む姿勢が今後社会によい影響を与えていくことになるのではないかと期待している.
 
九獣連ヤマネコ保護協議会ホームページ
http://www.geo.cities.co.jp/AnimalPark/3359/

 



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