行政・獣医事

狂犬病予防注射に関する新聞掲載意見について(通知)

 平成15年4月17日付け15日獣発第23号をもって地方獣医師会長あて,次のとおり通知した.
15日獣発第23号
平成15年4月17日
地方獣医師会会長 各位
社団法人 日本獣医師会
会 長 五十嵐幸男
(公印および契印は印刷に代替)

狂犬病予防注射に関する新聞掲載意見について(通知)
 
 本年3月27日付けの朝日新聞朝刊「私の視点」(別添1)に,長野県下の診療医師・加沼戒三氏の「狂犬病 無駄な予防接種をやめよ」と題する意見が掲載されましたが,その内容は,狂犬病侵入の危険性を指摘しつつも,予防対策の要となる予防注射による免疫賦与が無意味であるかのごとき主張に代表されるとおり,論旨の多くが適正を欠くといわざるを得ないものでありました.
 本件の取り扱いについては,本会と厚生労働省との間で協議した結果,先ず狂犬病研究の第一人者の方に純学術的観点から当該意見について論評していただくのが適切との判断のもと,関係者と協議してきましたが,その結果,今般,4月17日付け同紙の同コラムに岐阜大学教授・源 宣之氏の反論「狂犬病 予防注射は有効な保険だ」が掲載されました(別添2)ので,取り急ぎお知らせいたします.
 現在,各地方獣医師会におかれては地方公共団体からの委託等を受け,会員獣医師の協力のもと狂犬病集合予防注射を鋭意実施されているところでありますが,今後とも,狂犬病予防対策の円滑な推進につきまして,一層のご尽力を賜りますようお願い申しあげます.

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(別添1)
 平成15年3月27日 朝日新聞 朝刊35面
 
私の視点
◆狂犬病 無駄な予防接種をやめよ
加沼戒三(長野県美麻村国民健康保険診療所医師)
 
 春になると憂鬱な気分にさせられる.医学的に無意味でありながら,「20万円以下の罰金」の力を背景に強制される,狂犬病の予防接種が始まるからである.全国約550万ともいう犬の飼い主が,この予防接種で負担させられる金額は年に200億円にも及ぶ.
 狂犬病は人畜共通のウイルス感染症だ.犬に自然に発生するものではなく,感染源となる動物がいない限り被害は起きない.国内では70年以降,人及び犬を含む家畜,野生動物に狂犬病の発生はなく,ウイルスは存在しない.
 にもかかわらず,なぜ毎年,犬にワクチンの接種をしなければならないのか.現に,狂犬病のない英国,アイルランド,北欧諸国ではこうした措置はとっていない.それどころか豪州とニュージーランドでは禁止されている.接種を強制する国は,ウイルスが犬や野生動物に存在する国・地域に限られるのである.
 日本の場合,危険なのは犬ではなく,海外から輸入されるすべての哺乳類だ.しかし,現在の検疫制度は狂犬病の防止には無力といっていい.感染のおそれのある動物が無検疫で大量に輸入されているからだ.
 最も危険とされるコウモリもそうだ.米国では犬と同等の危険性があると警戒されているフェレットも,年間1万5千頭以上が検疫なしで国内に入ってきている.「万全な対策をとっており,国内発生はあり得ない」とされたBSE(牛海綿状脳症)があっさり侵入したように,狂犬病の「上陸」は現在の検疫制度下では十分ありうるのだ.
 海外で狂犬病に感染する危険性について十分な考慮がされていないのも,日本の特徴である.ウイルスをもつ犬や猫,猿などに渡航先でかまれる危険性は決して小さくない.海外渡航者へのワクチン接種こそ必要なのに,実際に受ける人は少ない.世界で広く行われているWHO方式では接種は1カ月で終了するのに,日本は別方式を採用しており,最短でも半年かかることも一因といえる.
 もちろん今では,狂犬病に感染したとしても有効な治療法が確立しており,早期に診断・治療を受ければ治療は可能である.しかし日本では抗狂犬病免疫グロブリンが認可されていないため,十分な治療はできない.感染している動物にかまれた後に帰国し,現地にとどまっていれば可能だった治療を受けられないまま発病,そのまま死亡する.そんな危険性もある.
 改めて思うのは,日本における「犬文化」の貧弱さである.補助犬(盲導犬・聴導犬・介助犬)の少なさもその一例だ.なるほど昨年10月に身障者補助犬法が施行され,公共施設への同伴入場などが可能になった.だが,日本では盲動犬は900頭にみたず,聴導犬にいたっては20頭程度しかいないとされる.翻って米国で活躍する聴導犬は4千頭という.
 1頭育成するのに200万円程度かかるとされる盲導犬や聴導犬を欧米並みにするには多額の資金が必要だ.無意味な狂犬病予防接種をやめ,そこに投じられてきた費用を補助犬育成にまわしてはどうか.ハンディを負う人々に希望を提供できることになる.それをこそ「豊かな社会」と言うのではないだろうか.

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(別添2)
 平成15年4月17日 朝日新聞 朝刊12面
 
私の視点
◆狂犬病 予防注射は有効な保険だ
源 宣之(岐阜大学教授(人獣共通感染症学))
 
 3月27日付「私の視点」で,狂犬病について加沼戒三氏は「無駄な予防注射はやめるべきだ」と主張しているが,反論したい.
狂犬病は,日本では56年のイヌ,57年のネコを最後に,58年以降は発生していない.世界でも数少ない清浄国と言えるのは,ワクチンの接種など,さまざまな対策をしてきた先人の努力の賜だ.だが,最近は発生してもおかしくない状況がある.「予防注射は無駄」とはいえない.
 狂犬病は,人を含めたすべての哺乳類がかかる.発病すると悲惨な神経症状を示した後,100%死亡する.地球上で最も危険なウイルス感染症だ.
 日本の近隣各国を含めたアジア,アフリカ,北中南米,欧州などで狂犬病は現実に発生している.人の発病死は,年間3万3千件と報告されているが,実数は十数万とも見られる.狂犬病を発生していない日本,英国,豪州などは例外といえる.
 感染から発病までの潜伏期間は平均1〜2カ月間で,その間の診断は不可能だ.突然発病して1週間から10日で死に至る.人に対する有効な治療法は,動物にかまれた後,できるだけ早くワクチン注射をすることしかない.抗狂犬病免疫グロブリンを併用すれば,治療効果が高まるが,日本にはほとんどない.
 狂犬病の発生防止対策は大きく分けて二つある.一つは英国や豪州などで取られている水際作戦で,動物検疫の厳密実施だ.この場合,国内のイヌには予防注射をしないが,入国するイヌには免疫獲得の事前確認が必要になる.野生動物は輸入が禁止される.
 だが,病原体が検疫をすり抜けた場合は大打撃を受ける.最近,英国や豪州で,狂犬病にきわめて近いリッサウイルスが入り込み,感染症を起こしていることが明らかになっている.
 もう一つは,日本のように動物検疫と国内でのイヌの予防注射を併用することだ.動物検疫は英国や豪州ほど厳しくなく,日本ではイヌ,ネコ,キツネ,スカンク,アライグマが対象で,他の野生動物はフリーパスだ.病原体の侵入を許す危険性はあるが,最も人に感染させやすいイヌに免疫をつければ,国内の流行は阻止できる.
 狂犬病は日本では大正時代,年間3千件以上発生していたが,22年からイヌへの予防注射を徹底すると,約10年間で撲滅寸前にまで抑えた.だが,戦時中に対策がおろそかになると,戦後は年間約1千件に激増.50年に現行の狂犬病予防法が制定され,予防注射拡大の結果,7年で撲滅した.その有効性は証明済みだ.
 狂犬病ウイルスやリッサウイルスが日本に侵入する可能性は高まっているといえる.その理由は(1)近隣各国を含め世界での発生が減っていない (2)多数の愛玩用野生動物が検疫なしに輸入されている (3)不法に入る動物が年々増加している,などである.
 日本では,家畜への検疫が厳密だったにもかかわらず,00年に宮崎市で口蹄疫が92年ぶりに発生した.水際作戦の難しさを物語る出来事だと言える.
 万一狂犬病が日本で発生した場合,口蹄疫や牛海綿状脳症(BSE)の発生時とは比べられないほどの大混乱と経済的負担が起きるだろう.イヌの飼い主が1年に1度,予防注射に約3千円払うのは,大パニックに対する保険だと思えば,そう高い代価ではない.