総   説

犬の天疱瘡自己抗体の標的抗原

岩 崎 利 郎

東京農工大学農学部獣医学科家畜内科学講座
(〒183-8509 府中市幸町3-5-8)

Autoantigens of Canine Pemphigus
Toshiroh IWASAKI

Department of Veterinary Internal Medicine, Tokyo University of Agriculture and Technology, 3-5-8 Saiwai-cho, Fuchu 183-8509, Japan

緒     言
 天疱瘡はあらゆる皮膚疾患の中で,ここ10年の間に最もその病態が明らかにされてきた疾患の一つである.ヒト,それに続いて犬でもcDNAクローニングによる標的抗原の同定,組換え蛋白を用いたELISAによる診断法の開発,抗体価と臨床型の関連解明が進みつつあり,病変好発部位をその部位の抗原分子の発現量から説明できるようになった.したがって,一連の研究により天疱瘡は自己免疫性疾患の中でも,自己抗体の産生後に起こる現象がわかりやすく理解できるようになったといえる.
 天疱瘡はヒトをはじめ犬,猫,馬,豚,羊など多くの哺乳動物に発生する自己免疫性皮膚疾患である[14, 22].犬の天疱瘡はまた,獣医皮膚科学上で最も罹患動物数が多く,また最も解明が進んでいる自己免疫性皮膚疾患の一つであり,古典的には落葉状天疱瘡(pemphigus foliaceus),紅斑性天疱瘡(pemphigus erythematosus),尋常性天疱瘡(pemphigus vulgaris)および増殖性天疱瘡(pemphigus vegetans)に分類されている[25].さらに,近年犬では新しい概念として腫瘍随伴性天疱瘡(paraneoplastic pemphigus),汎表皮性膿疱性天疱瘡(panepidermal pustular pemphigus)が報告されているが[7, 29],基本的に動物ではヒトの天疱瘡の分類に従っている.これらの天疱瘡の犬における発生頻度は,落葉状天疱瘡(PF)が最も多く,紅斑性天疱瘡,尋常性天疱瘡(PV),増殖性天疱瘡の順に発生が少なくなるが,特に増殖性天疱瘡の報告はきわめて少なく,非常にまれな疾患であるといえよう[25, 29]. 前述したように天疱瘡は多くの動物で発生が報告されているが,その発生頻度は犬で最も高く,また治療の機会も多く,したがってその研究が最も進んでいることから,本稿ではおもに犬の天疱瘡についてヒトのそれと比較しながら述べる.

 
犬の天疱瘡の臨床,病理組織学および免疫病理学
  犬の天疱瘡は1975年にHurvitzら[10],Stannardら[27]によってPVが報告されたのが最初であり,続いてHalliwellらにより1977年にPFが報告された[9].PFは犬で最もよく認められる自己免疫性皮膚疾患である.臨床症状として鼻部,眼周囲,耳介を中心とする頭部,体幹あるいは足底肉球に紅斑,膿疱,痂皮形成,びらんがみられる(図1).ほとんどの症例では最初の病変は鼻部に出現し,治療によっても鼻部が最後まで改善しないことが多い.多くの症例では治癒はのぞめず,症状は軽快,増悪を繰り返しながら継続する.症状を増悪させる因子にはノミ寄生,紫外線暴露,アトピー性皮膚炎などがある.PFの病理組織学的な所見は表皮内に存在 し,角質下,表皮上部あるいは毛包上皮に存在する無菌性膿疱が主体である(図2).膿疱内には多数の好中球あるいは好酸球ならびに棘融解細胞(acantholytic cell)と呼ばれる,周囲細胞との接着を失った,細胞質が好酸性の円形の上皮細胞が多数認められる(図3).通常,びらんを生じていなければ真皮における変化は少ない.免疫病理学的には,病変部皮膚を用いた直接蛍光抗体法で,80%程度の症例の表皮細胞間にIgG,C3,時にIgMクラスのグロブリンの沈着が観察される(図4).IgAクラスのグロブリン沈着はほとんどみられないため,病理組織学的に類似するヒトのlinear IgA dermatosisとは異なるようである.PFの亜型である紅斑性天疱瘡では,免疫グロブリンが表皮細胞間のみならず基底膜にも沈着することがある.
図1
図1
 犬の落葉状天疱瘡の臨床症状
  鼻部,耳介および眼周囲に発赤,痂皮形成,びらんがみられる.
 
図2
図2
 犬の落葉状天疱瘡の病理組織所見
  表皮角質下に膿疱が認められる.真皮には変化が少ない.
 
図3
図3
 犬の落葉状天疱瘡の病理組織所見
膿疱内に多数の好中球および細胞質が好酸性の棘融解細胞がみられる.
 
図4
図4
 犬の落葉状天疱瘡の直接蛍光抗体法陽性所見
  病変部皮膚の表皮細胞間にIgGクラスの免疫グロブリンの沈着がみられる.
 
 PFの診断基準についての,現在の世界的な獣医皮膚科学的および獣医皮膚病理組織学的な趨勢は,典型的な臨床像と病理組織学的に棘融解細胞を多数含む角質下膿疱の存在,免疫抑制剤による寛解である[25].
 一方,PVはおもに粘膜に発生するきわめてまれな自己免疫性皮膚疾患である.臨床的には口腔内,肛門周囲,陰部あるいは趾間の水疱,びらん,潰瘍および痂皮形成がみられる(図5).口腔内病変は本症例の約90%にびらんあるいは潰瘍として出現し,対応する臨床症状として食欲不振,流涎が認められる.病理組織学的には表皮基底層を水疱底とした表皮内膿疱あるいは水疱がみられ,水疱,膿疱内には好中球,棘融解細胞が存在する(図6).免疫組織学的にはおもにIgGクラスのグロブリンが表皮細胞間に沈着する.PVに罹患した犬の皮膚を用いて直接蛍光抗体法を行っても,PFと同様に表皮細胞間に免疫グロブリンの沈着がみられ,直接蛍光抗体法のみからはPVとPFを区別することはできない.
 このように天疱瘡の病態では落葉状,尋常性を問わず表皮細胞間に免疫グロブリンが沈着することから,表皮細胞間接着装置に対する自己抗体が存在すると考えられる.
図5
図5
 犬の尋常性天疱瘡の臨床症状
  口腔粘膜にびらんおよび潰瘍が認められる.
 
図6
図6
 犬の尋常性天疱瘡の病理組織学的所見
 表皮基底層直上部で表皮が剥離し,膿疱を形成している.落葉状天疱瘡に比較して膿疱内に好中球の浸潤は少ない.

 
表皮細胞間接着装置
 表皮のケラチノサイトは基底層で分裂し,有棘層,顆粒層へと上昇してやがて死んで角質となる.これら細胞は表皮としての強靭性を保持するために,細胞間がおもにデスモゾーム,ケラチノサイトと基底膜間がおもにヘミデスモゾームで接着されている.デスモゾームには膜貫通性のデスモグレイン(Dsg)1および3,デスモコリン1および2,Dsgなどの裏打ち蛋白となるプラコクロビン,デスモプラキンが存在し,これらの蛋白はさらに細胞内骨格蛋白と接続し,細胞同士を強固に接着している(図7).
図7
 表皮細胞間接着装置(デスモゾーム)の模式図
 
 天疱瘡の病因で特に重要な蛋白であるDsgは一般的にE-カドヘリン類似蛋白であり,細胞外ドメイン,細胞膜ドメインおよび細胞内ドメインから構成されている[4].Mullerら[15]により牛,ヒトに続き犬のDsg 1の抗原性に重要と思われる細胞外ドメインの遺伝子配列が報告され,ヒトとは89.2%,牛と88.3%の相同性が認められている.しかし,その相同性は抗原としてさらに重要と予想されるEC 1およびEC 2と呼ばれるドメインでは97%程度であり,この部分は保存性の高い部分であると思われる.われわれの研究室ではDsg 3の細胞外部分の遺伝子配列を現在解析中であるが,そのヒトとの相同性はおよそ80%程度であろうと予想される(未発表データ).