論 説

社会が必要とする獣医師を育てるための
獣医学教育を考えよう

―学術・教育・研究委員会での検討に当って―
(社)日本獣医師会/学術・教育・研究担当理事 竹 内   啓

 はじめに

 社会に対する日本獣医師会の大きな責務の一つが,社会の要望に応え得るように獣医師の資質を担保することにあるのは申すまでもあるまい.そのような観点から日本獣医師会では,大学における獣医学教育の充実については大学側の検討成果に期待することとして,同時に整備する必要のある獣医師の卒後教育を取り上げ,集中的な検討を重ねてきた.その成果を実現する第一歩として,獣医師生涯研修事業が平成12年度から試行されていることはご承知のとおりである.
 しかしながら,卒後教育が十分機能するためには,あくまでも社会が必要とする最低限の資質を備えた獣医師が大学から世に送り出されることが不可欠な前提である.
 このような視点から日本獣医師会の「学術・教育・研究委員会」では,平成13年度より,現場の獣医師を構成員とし,獣医師に対する社会的要求を最も感知しやすい日本獣医師会の立場から,社会のいろいろな分野,とりわけ近年過半数の新卒獣医師が従事する診療ならびに公衆衛生分野が必要とする獣医師の大学教育に関して意見を取りまとめることとなった.
 本稿では,上記の委員会での今後の検討の素案をも兼ね,この件の担当理事として若干の私見を述べさせていただくこととする.

 

現在の6年制獣医学教育に対する厳しい評価
 国際水準の獣医学教育をわが国で実施するための第一段階ともいうべき6年制教育が実施されてからすでに久しく,その修了者が全獣医師の過半数を占める日もさほど遠いことではなくなった.しかしその教育を受けて国家試験に合格し,各分野に就職した獣医師の知識・技術水準が,果たして社会の要求を満たしているのであろうか? 平成10年に日本獣医師会がまとめたアンケート結果(日獣会誌に掲載済み)に見るかぎり,大きな期待を持って始められた制度であっただけに,残念ながらきわめて悲観的な評価といわざるを得ない.
 例をあげれば,6年制を卒業した獣医師からは,各職場,特に臨床と公衆衛生の両分野で必要な専門教育,特に実技教育が不十分であったとする意見が多く,その獣医師を採用している職場では,4年制の卒業生と比較して優れているとする評価が著しく少ない.さらに大学教員の多くは,4年制当時と比較して教育環境がほとんど整備・改善されていないと認めており,上述した教育内容が不十分との評価も当然の帰結と考えられる.

獣医系大学における改善努力
 一方,大学関係者もこのような実状に大きな危機感を持つようになり,海外の獣医学教育の調査などから日本の獣医学教育,特に臨床教育の遅れが明確になったこともあって,国際水準の獣医学教育に向けての早急な改善が叫ばれてきた.そして改善の具体的指針として,平成9年には大学関係者を中心とする大学基準協会において「獣医学教育に関する基準」が作成され,国際水準に近い教員数と施設・設備による教育目標が明示されている.国立大学ではその実現のため,大学の再編整備という未曾有の難問と取り組んでいることは周知のとおりである.
 しかし,国公私立の各大学とも獣医学教育改善の当面の目標としているこの基準の中身を,社会が望んでいる獣医師を教育するという視点から通覧すると,多少の不安を禁じ得ないのは筆者ばかりではあるまい.例えば獣医学の充実という表現は随所に見られるが,現在ならびに近未来に求められる獣医師像を意識して教育の目標を定める姿勢が必ずしも明確に示されていない点である.

大学における獣医師教育の位置づけをどうするか?
 いうまでもなくこの「基準」が大学関係者を中心として作成されたことを考えれば,「獣医学という学問の教育充実に目標をしぼるべきである」,「大学教育というのは本来体系化された学問の教育で,職場での実務教育の理解・習得に必要な基礎教育で十分である」等々,基礎科目を中心としたわが国の伝統的獣医学教育の影響が多少は残っていても不思議ではない.事実この基準で例示されているカリキュラムでは,臨床・公衆衛生・家畜衛生などの科目の合計は,全体の30〜50%という位置づけである.
 もちろん獣医師として,基礎を含めて最先端の学術知識を身につけておくことはきわめて重要であり,異論のある筈はない.しかし,ここでどうしても無視できない現実は,卒業生が取得する獣医師資格がわが国では国家資格であるため,獣医師法に定められている飼育動物の診療と家畜衛生・公衆衛生等の専管業務に関しては,資格を取った以上社会が獣医師に要求する実務をこなす責務があるという点である.加えて昨今では,各分野で獣医師に要求される知識・技術の水準が年々増大する傾向にある.
 しかし,農水省が実施する国家試験で出題される事項は,原則として各大学が一様に教育しているものに限らざるを得ないことを考えると,今こそ大学の獣医学教員のすべてが,担当科目にこだわらず獣医師教育という目的をも共有して,教育内容を再検討することが重要ではなかろうか.この点の重要性に関しては,平成13年に種々の分野の有識者からなる「獣医学教育のあり方に関する懇談会」から日本獣医師会長になされた答申の中にも,「広い社会的責務を担いうる獣医師を育成することが獣医学教育である」と明確に記述されている.
 日本獣医師会としても,社会への獣医業サービスの向上のため,大学とは異なった現場の切り口からこれらの点について積極的な提言をし,獣医業の現場としても大学教育に大いに協力する必要がある.
 以下,紙面の制約もあり十分には意を尽くせないが,社会的責務を果たせる獣医師の教育に有用と考えられる事項に関して若干の提言を試みたい.

「獣医業概論」の実現に獣医師会は協力できないか?
 現在の高校教育ならびに入学試験方式では,新入生の大部分は獣医師の業務や社会との関連については,ほどんど知らないか,あるいは著しく偏った印象を持っている可能性が高い.入学後6年間にわたって学ぶ種々の科目をしっかりと身に付け,明確な使命感を持つ獣医師が育つためには,まず最初に「獣医業概論(仮称)」により獣医業の全貌を理解して,広い範囲でもよいからある程度の目的意識を持って教育を受けるのが有効ではなかろうか.一般に多くの大学が新入生を対象に実施している「獣医学概論」は,大勢の教員が交代で各自の担当科目の概要等を解説する形式であり,担当科目の理解が主目的である.それとは違って「獣医業概論」は,実務経験者の少ない大学自体では教育しにくい分野であることを考えると,もし大学側から要請があればの話ではあるが,この分野こそ獣医師会が率先して大学における獣医師教育に協力できる分野の一つではなかろうか.

獣医倫理教育に対応する獣医業界の整備はできるか?
 近年,獣医倫理教育の必要性が叫ばれ,カリキュラムに含める大学が増えつつあるが,筆者自身はここ2年ほど獣医倫理・動物福祉の教育を担当しながら,多少不安を禁じ得ない部分がある.それは獣医倫理といってもそれだけで独自の方向を歩めるものではなく,当然のことながら生命倫理,社会倫理,個人倫理などとある程度相容れ得るものでなくてはならない点である.筆者の場合には哲学者等と一緒にこのような観点からの獣医倫理の在り方を求め,動物,飼い主,社会,同業社会,自分と家族等への責任の考え方を示そうとしているが,気にかかるのは,彼らが卒業して獣医社会に参加した場合のことである.すでに獣医師会としてその方向に向けての啓発がなされてはいるが,獣医師の倫理観の欠如や職域エゴとも取られかねない言動が依然として見られることも否定できない.卒業後の彼らが混乱しないような獣医倫理が現場でより確実に構築されてこそ,大学での教育が実際に活かされることとなる一例であろう.

すべての職域に行く獣医師に充実した臨床教育を!
 日本の獣医学教育を国際水準に近づけるためには,特に臨床教育の充実が重要であるとの見解が大学内において広がりつつある今日でも,「欧米諸国とは違って診療獣医師が全体の半分にも満たないわが国ではその必要性は大きくない」という,日本の獣医教育界に脈々と流れていた考えが依然としてあることは否定できない.確かにわが国における獣医師の職域は,欧米のように臨床に偏っておらず,きわめて広い領域に深く関わり合っているのが特徴であり,獣医学教育においてもこの点を十分考慮する必要があるのはいうまでもない.しかしだからといって,動物の病気に対する基本的な知識と技術を身につけていない獣医師が,分子生物学や遺伝子操作などを含めた一層広い範囲の境界領域に今後進出し,他分野の専門教育を受けた人達に伍してアイデンテイテイを主張することができるのであろうか? 獣医師という以上,先ず動物丸ごとと,その病気に関する専門的知識・技術を持っていることが第一である.その上に立って学部さらには大学院で各専門分野の研究や経験を積んでこそ,たとえ臨床獣医師として働かなくとも,現場あるいは背景にある問題を十分意識した研究,教育,行政,ビジネスをはじめとする広い分野において,獣医師ならではの貢献ができるものと確信している.

実務教育としての動物病院における臨床実習は可能か?
 欧米諸国の獣医大学においては,全員が卒業前の1ないし1年半を基本的には付属動物病院で過ごし,各診療科を巡るローテイション方式の実習に従事するのが通例である.この実習は,病気の動物と飼い主に接触しながら診断と治療を進める実務を習得するとともに,すでに学習した成果を如何に組み立てて問題を解決するかという,一般にプロブレム・ベイスド・ラーニングとして昨今高く評価されている教育方式にも通じるものである.
 わが国でもこの方式を是非とも導入するべきだとの声は,設備や陣容の抜本的充実を前提としてではあるが,特に臨床系教員の間ではきわめて大きい.しかし,同じ時期に実施されている卒業論文研究の価値を高く評価する向きが,特に基礎科目の教員間で根強いのも事実である.そこでわが国で実施するとすれば,ある期間は全員が臨床実習に参加するとしても,その他は小動物臨床,産業動物臨床,公衆衛生その他のコース別にして,その中には特定の研究室で論文作成経験を積むコースを設けるのが現実的な方策と考えられる.
 さて,陣容や施設が整い,動物病院における臨床の実務教育ができるようになったとしても,わが国の現状ではその実をあげるためには大きな障壁がある.それは日本の免許制度の下では,例え獣医師あるいは教員の指導下であっても,獣医師法上は免許のない学生には一切の診療行為が許されていないことである.欧米諸国の獣医学教育では獣医師の養成上当然とされているこの行為を可能にしないで,例えば採血・注射を始めとする獣医師としての基本的技術を習得し,社会が最小限求めているプライマリケアのできる獣医師を作る教育が可能であろうか? これに加えて,かつてのように実習用動物を多数使用して実技を習得することには,市民社会の大きな抵抗があることを考えると,動物病院における診療行為の中で基本技術を習得できるようにする必要性は,きわめて高いといわざるを得ない.現在の制約下では,例えば収容施設の犬の譲渡前の避妊・去勢手術を臨床実習の一環として大学で実施するという,これまた欧米の獣医学教育で広く行われている実習方式も許されないとの理解のようである.
 この問題は,学生の実習行為が「診療を業とする場合」に当てはまるかどうかの法律的解釈と関連しているだけに,大学だけで解決を計ることは決して容易とは思えない.しかし近年開発されつつある種々の人工模型やコンピューターの利用等である程度の実習をしたうえで試験を行い,いわゆる仮免許を発行して実習に参加させるなど,獣医師の指導下である範囲の診療実習を行政に承認してもらう方策はあり得るはずである.そのためには,その必要性に関する獣医業界の理解が前提となることは申すまでもない.国際水準の獣医師を胸を張って養成するためにも,日本獣医師会が教育機関ならびに行政機関と力を合わせて解決するべき重要課題の一つと考える.

 まとめ;獣医師教育の外部評価組織の提言
 以上述べたように,獣医界としては社会の要請に応えうる獣医師を絶えず社会に送り出す必要があり,そのためには明確にそのような獣医師を目指した教育が大学で行われることが不可欠である.しかし,このような対応には大学内部だけの判断ではなく,刻々と変化する社会の要請に即した獣医学教育が実施されるよう,外部からも助言を受ける必要があると考えられる.事実多くの欧米諸国では,アクレディティション・システムとして,このような評価組織が獣医師会を中心に設けられ,獣医学教育の水準維持に効果を上げている.もし,従来から行われているわが国の獣医学教育が,社会が必要とする獣医師の育成に不十分であるとするならば,このような評価組織がなかったことも大きな要因ではなかろうか.
 今回の整備充実でいったんはその改善が行われたとしても,わが国での教育内容が適正な獣医師の教育に向けて絶えず維持されるためには,大学教育の自由度を尊重することは当然としながらも,ありうべき獣医師像を念頭においた外部評価を欠かすことはできない.申すまでもなく,人創りことこそわれわれの業界の将来をゆるぎないものとする基盤である.この機会に,市民社会と獣医界との接点にいる日本獣医師会としては,各分野の有識者達に参加を求めて獣医学教育の評価組織を創設し,各種の検討結果に基づいた獣医師教育が将来とも着実に実施される基盤作りに協力すべきであることを提言して,この稿を閉じたい.