紹    介

モンゴルにおける家畜大量餓死の真相について

平野紀夫

 国際協力事業団(JICA)がモンゴル国の基幹産業の1つである牧畜業の発展に寄与するために,モンゴル国における家畜感染症の制圧と予防を目的とした“家畜感染症診断技術改善計画”(委員長 帯広畜産大学 品川森一教授)が1997年より5カ年計画でモンゴル国立農業大学獣医学研究所にて実施されている.私は本計画のモンゴル側研究員への技術指導の短期専門家として昨年10月1カ月間滞在し,再度本年3月中旬より1カ月間同研究所で指導にあたった.

 今回のモンゴルへの渡航前に日本国内での各新聞,テレビ等でモンゴルにおける今冬の寒波による家畜大量 餓死について何回も報道されており,大変関心を持ってモンゴルへ来た.私が現地において本件に関して見聞した事柄について報告したい.

 昨年10月はじめにウランバートルに到着したときには周辺の山々はすでに雪に覆われており市中の草木はすっかり枯れていた.10月中旬,ウランバートル南西50kmに位 置する中央県県都ゾーンモド郊外で生活する遊牧民のゲルをモンゴル人スタッフの案内で訪れ,遊牧民の生活の一部を見た.遊牧民の話によれば,11月中には購入した乾草をもって家畜とともに越冬地に移動するとのことであった.遊牧民にとって羊は食糧源として最も重要な動物であり,羊肉ばかりではなく血,皮などすべてが利用されている.また,若者の月収が約30米ドル,公務員の給与が平均60米ドルであるモンゴルでは羊1頭が20〜30米ドルで売買されるため重要な現金収入源となっている.

 モンゴルではソビエト連邦崩壊後東欧圏から離脱して1992年にモンゴル人民共和国から新生モンゴル国として再出発したが,それまで得られていたソ連からの援助が停止し自由経済下に移行したために今日まで経済的,社会的混乱が続いている.社会主義政権下では衣食住が保証されていたが,これらすべてを自分の責任で果 たさねばならず,家族の崩壊や孤児の発生など問題が多い.たとえば,ウランバートル市内には10以上の大学があるが卒業しても都市部での就職は困難である.就職状況がよくないのでウランバートルへ出てきた人々は,これらの理由により田舎へ帰郷せざるをえず,出身地で牧畜を始める人々が増加している.その結果 として,この5年間ぐらいで総家畜頭数は2,500万頭から3,350万頭に急増している.モンゴル農牧産業省に滞在する農水省派遣のJICA長期専門家によれば,モンゴルの家畜頭数はすでにモンゴル国土全体の草地面 積に対して過剰な数であると判断している.ある県では草地面積の許容頭数に対して200%以上の動物が放牧されている例など,いつ餓死が起きてもふしぎではないと断言している.例年50〜70万頭は冬季に死亡しており,過去には500万頭,1,000万頭の家畜死亡例も記録されているとのことであった. しかし,従来の伝統的な放牧形態を行ってきた遊牧民は比較的肥沃な草地間の移動を既得権として持っており,新規参入者はこれらと摩擦のない地域,これまでに利用されてこなかった山間部等での放牧を余儀なくされている.

 これまで,モンゴル人は肉,毛,皮を利用するために羊を主として放牧してきたが,近年日本をはじめとする先進各国でカシミア毛製品に対する需要が高まり,羊毛よりきわめて高額で取り引きされるカシミア毛の生産のためにカシミア山羊の放牧が盛んに行われており,飼育頭数は毎年20%の勢いで増加している.特に,昨年はモンゴル全土でカシミア毛が中国系商人に買い占められ高騰した結果 ,日本のODA援助により整備されたウランバートル市内のカシミア工場は原料を購入することができず操業短縮に追い込まれている.山羊は羊に比べて圧倒的に強く,草地の草木を根こそぎ食べるために草地が荒廃し草地の回復を遅らせている.近年,このような急増した家畜頭数による放牧形態は冬季の飼料となる乾草の十分な準備なしに行われており,さらには草地の再生産力に見合った以上の動物を放牧しているのが現状である.ソ連経済下時代には,ソ連から麦,牧草等の種子や肥料,耕作機械等多くを援助されてきたが,これまでに援助された耕作機械等も老朽化して使用不能のものが多く,飼料作物の生産が極端に低下している.

  今冬の家畜餓死に関する現地ウランバートルの2月4日付新聞によれば,モンゴル国21県中9県で雪害がひどく,ザブハン,フブスグル,バヤンホングル,ウブルハンガイ,ドンドゴビ,オブス,ウムヌゴビ県においてが今冬被害が大きい.1999年12月には271,400頭が死亡し,2000年1月には287,100頭が死亡した.これらのうち,大家畜(馬,牛,ラクダ)は14万頭,残りは,山羊である.政府はドンドゴビに乾草700トン,バヤンホングルに100トン,ドンドゴビに100トン,ウムヌゴビ30トン,ウブルハンガイに200トン,オブスに70トン輸送したとのことである.